日々借金を積み上げながら財政運営をしている

一体改革フレームは「社会保障の機能強化と財政健全化の同時実施」を実現するために当時の与野党が徹底的に議論してつくり上げたもので、全体が1つのパッケージになっています。消費税引き上げ延期・凍結や予定以上の給付拡充、医療・年金・介護・少子化以外の施策への財源充当は、そもそも法律改正が必要ですし、新たに見合いの財源を追加で確保しない限り、社会保障の機能強化分の削減か財政健全化の先送りか、自然増充当分を転用しなければならなくなります。これは負担(財源)を語らないサービス競争であって、「財政ポピュリズム」と呼ぶべき類いのものです。

小池百合子希望の党代表と、安倍晋三自民党総裁。(時事通信フォト=写真)

わが国の財政は均衡していません。つまり私たちは日々財政赤字を出し、後代に付けを回しながら社会保障給付や政府のサービスを享受している。これは厳然たる事実です。

「基礎的財政収支の均衡・黒字化」が財政健全化の大きな目標です。基礎的財政収支の均衡とは簡単にいうと「これ以上の借金をしないで財政を運営できる状態」ということです。つまり基礎的財政収支の均衡だけでまだ過去の借金を返済できる状態にはなりません。まして基礎的財政収支が赤字という現状は日々借金を積み上げながら財政運営をしている状態ということです。

成長で財政赤字を消したいなら尚更、成長軌道に入る前に財政健全化(プライマリーバランスの黒字化)をしておくことが必要です。財政健全化を先送りすればするほど借金は膨らみ、将来の若者にさらなる重い負担を負わせることになり、最終的な財政均衡を実現するための負担はどんどん大きくなっていきます。そうなったらいよいよ社会保障も維持できなくなるし、成長のための投資もできなくなります。このことへの明確な対応方針なしに一体改革の枠組みを変更することはおかしいと考えます。

希望の党が突如として公約に掲げた「ベーシックインカム(BI)」についても考えてみましょう。BIという考え方は別に新しいものではなく、2つの系譜があります。リバタリアンの系譜とフェミニズムの系譜です。

前者のリバタリアンは、いわば「極限の小さい政府論」です。全国民に一律の最低所得保障を行って後はすべて個人と市場に任せ、政府は社会保障から手を引く。公的な医療保障や年金は基本的に廃止、BIの財源は廃止した社会保障給付を振り替える。そのほうがトータルの政府の負担は小さくなる、というものです。後者は、GDPにカウントされる労働だけが労働ではない、家事労働や子育てのような対価の払われてない労働(アンペイドワーク)にも社会は対価を支払うべき、というものです。

希望の党が一体どちらの哲学を背景に公約に載せたのか聞いてみたいものですが、それ以前に実現可能性という観点からして、1人月10万円の給付を行うとして年間120万円、1億2700万人で約150兆円。国の一般会計予算の総額より巨額です。一体どうやって調達するのでしょう。ちなみに生活保護は約4兆円、医療扶助や介護扶助を除いた生活扶助は1.5兆円です。医療保険や年金を全部やめて財源を出すのか。実現可能性を真剣に考えた公約とは私には到底思えませんでした。

希望の党の政策ブレーンは「BIは当面社会実験で」といいました。社会実験なら200年前に英国で実証済みです。スピーナムランド法。この法律は英国社会を大混乱に陥れ、結局廃止されました。希望の党はこのことをご存じだったのでしょうか。

※本稿は個人的見解を記したものであり、外務省ともアゼルバイジャン大使館とも一切関係ありません。

(撮影=村上庄吾 写真=時事通信フォト)
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