新聞では「もやっとしたもの」が残ってしまう
――日本からチェルノブイリの人々に注がれる視線は「災厄に遭った不幸な人々」といったものなのでしょうが、彼らが日本や福島に見ているものは少し違うということでしょうか。
はい。生活そのものや、起きてしまったことが持っている普遍的な意味を考えているように思いました。
――チェルノブイリ訪問以降のお仕事を見ていて、ある意味で新聞というメディアでは扱いにくいテーマに踏み込まれているな、と感じていましたが、2016年にBuzzFeed Japanに移籍されたときは驚きました。
長い記事を書きたいという思いが強くなっていました。その対象は震災関連だけではありませんが、震災取材の経験は大きく影響しています。
「科学も感情も」というアプローチをするうえで、かつてのノンフィクションやルポルタージュの手法が使えるんじゃないか、と思ったんです。取材を重ね人物や事象に接近し、ディテールを細かく描いたり複数の視点から再現したりする。そうした長い記事だからこそ、浮かび上がるものがあるんじゃないか、と。
でもそのためには新聞紙面では物理的にスペースが足りません。そぎ落として書く新聞の文体には利点も多いのですが、そぎ落としてよかったのかと後から思うこともある。そうすると、書きながらもやっとしたものが残ってしまうんです。
見て、聞いて、感じたリアリティを描く方法
――この本は結果的に石戸さんのそうした問題意識を反映するものにもなりましたね。過去記事の集成ではなく、一冊のノンフィクションとして書き直す作業はかなり大変だったと思います。
「一冊」に値する軸を作らないといけない、と思いました。初出時によく読まれたもの、話題になったものを集めるだけなら、こうした本にはしなかったでしょう。
どんなに思い入れがあっても入れなかったものは何本もあるし、反響があまりなかったものも大幅に書き直して入れてあります。一冊を通しての串と、章ごとに通った三本の串があり、どこからでも読めますが、通して読めば一本の串がわかるつくりにしました。
――今は「一冊のノンフィクション」が世に出ていきにくい状況でもあります。石戸さんのいう「いま有効だと思うノンフィクションの手法」とは、どういったものですか。
新聞からネットメディアに転じてから、10代の頃から好きだった1970~80年代前半のノンフィクション作品を集中的に読み返しました。沢木耕太郎さん、山際淳司さん、後藤正治さんといった書き手です。彼らは1960年代後半に勃興した米国発の「ニュー・ジャーナリズム」に強く影響を受けており、取材対象、シーンに深く関わることで人物や出来事のディテールを濃密に描き出しています。
たとえば山際さんの「江夏の21球」は、日本のスポーツノンフィクションを変えた一編だったと言っていいと思います。一人の人間のエピソードを積み上げて物語に仕立てるのではなく、証言とファクトを積み上げ、複数の視点を切り替えながらある出来事を描き出す。
いま読み返すと、自分自身が見て、聞いて、感じたリアリティを別のものにすり替えずに描くための悪戦苦闘の歴史があって、作品群を読んでいくとそれが手に取るように伝わってきました。