「科学も感情も」のアプローチをする
――「発がん率~%」「空間線量~mSv(ミリシーベルト)」といったモノサシは同じでも、そのモノサシが置かれた机の上は、人それぞれにまったく違うということですね。
全然違います。納得するまでにかかる時間もまったく違うし、納得の度合いも違う。言うまでもなく、科学的なモノサシは重要です。ただ「モノサシが使えるよ」ということと「だから受け入れろ」ということはまったく違うんだということを、お互いに理解したほうがいいんじゃないかと思うんです。
――モノサシの違いを見ないまま、一部では議論が陣営化していきましたね。
それ自体はいたしかたないところもあります。当事者の努力を無にするような言葉を投げつけられるのは傷つきますし、差別でもある。一方で、そうした言葉にただの罵声で返す人も一定数はいたと思います。僕も記事への非合理的な批判には必要があれば反論はしますが、基本的にはいま自分がやるべきことではないな、と。
――科学のモノサシは科学者に任せよう、と。
たびたび記事にも書いていますが、福島の食品の安全や、子供への影響については、科学的な決着はついていると思っています。僕ができるのは、実直な科学者の仕事を取材して、記事にまとめて発信するところまでです。基本的には、科学者の仕事に最大限の敬意を払う。
その上で、「安全か危険か」という二項対立を作らずに伝えようとすること、そして「科学か感情か」ではなく、「科学も感情も」のアプローチをすることが自分のつとめなのだと考えています。
チェルノブイリの「当事者」
――原発事故をめぐる議論の溝は、一本は安全と危険との間に走っていますが、もう一本は当事者と非当事者の間にも走っているように思います。カタカナの「フクシマ」に象徴される外部から投げかけられる無理解から生まれる言葉と、「何も知らないよそ者が語るな」といった言葉との間での断絶が、結果として無関心を助長してしまっている面がある、と。第3章「歴史の当事者」はこの当事者性がテーマになっていますね。
2013年に、批評家の東浩紀さんが主催した「チェルノブイリツアー」に参加し、ウクライナの人たちに会ったことが、ひとつの契機になりました。彼らは、ろくに現地のことも知らない日本からやってきた記者の質問に答えてくれる。当事者であるかどうかを問題にせず、直面した事態を受け止め、自身の立場からどう考えたのかを語ってくれました。その姿勢が僕にもしっくりきたんですね。
たとえば太平洋戦争について体験者しか語れないとするならば、語れる人はどんどん少なくなってしまう。当事者性は重要ですが、それを過剰に重視すると何も語れなくなってしまいます。僕は、この本のなかで「歴史の当事者」という考え方を提示しました。それに、当事者と非当事者を分ける線はそこまでに自明なものではないとも思うんですね。チェルノブイリで起こったことと福島で起こったことは同じではありませんが、当事者と非当事者を分ける一本の線があるわけではない、それは共通していると思います。
「福島をチェルノブイリや広島と並べて語るな」という批判は、違和感があります。チェルノブイリや広島を健康被害の問題だけ比較しようとする人がいます。僕はこうした考えはとりません。歴史に残る大きな出来事があり、イメージがついてしまった土地であり、かつそのイメージを払拭しなければならないとするならば、彼らの歴史に学ぶべきことは多いはずです。大きな苦難を乗り越えようとうする人たちがいる。彼らの言葉にこそ、学べることがあると思うのです。
チェルノブイリツアーにも福島県からの参加者が何人かいて、そのなかには、避難を余儀なくされた原発立地自治体出身の女性もいました。そんな参加者が、ゾーン(チェルノブイリ原発30km圏内)に自主的に帰還してきた「サマショール」と呼ばれる人たちと語り合う姿はとても印象的でした。彼女の言葉に、サマショールは共鳴し、「あなたはまだ若いんだから、きっと故郷に帰れる日がくる」と自分たちの考えを伝えてくれる。彼らなりに福島で起きたことを地続きのものと受け止めて、自分たちの経験を伝えようとしているんです。