2011年3月11日の巨大地震発生後、数十分で到達した大津波により、石巻市では多くの尊い命が犠牲となった。市内は孤立し、その後数日間、被災者は各地の建物で雨露や寒さ、空腹をしのいだ。石巻港に近い木の屋の缶詰工場も津波で流失したが、流れてきた同社の缶詰を拾って食べ、当面の空腹を満たした被災者もいたという。缶詰ゆえ、外見は汚れても中身の品質には問題がない。救援物資の食料が届けられるまで「命の缶詰」となったのだ。

道路の中央分離帯に横たわる鯨缶タンク(当時) /2012年2月筆者撮影

その後、ようやく水が引き、同社の従業員が工場のガレキを片づけ始めると、泥水の下に大量の缶詰が埋まっていることに気づく。「当時の工場在庫は約100万缶あり、残った缶を掘り出すことから自社の業務を再開しました」と木村氏は振り返るが、石巻ではまだ水道も電気も復旧していなかった。そんな中、いち早く取引先が動く。東京・世田谷区経堂の居酒屋「さばのゆ」が、「泥つきでいいから缶詰を送ってほしい」と手を差し伸べたのだ。やがて石巻から缶詰が届くと、ボランティアの人たちが手洗いし、1000円の義援金につき3缶をお返しとして渡していった。

「命の缶詰」が「希望の缶詰」に

この活動がテレビなどで報じられると、さらに支援の輪が広がる。北海道から沖縄まで全国の人たちが次々に同社工場を訪れて、ボランティアで缶詰を拾い洗ってくれたのだ。さらに紹介を受けて、木の屋の従業員が千葉県や鳥取県などの「道の駅」に出向き、訪問客に販売した。いつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになった商品は、25万缶が支援者の手に渡ったという。

一躍名の知れたことにより、木の屋には新規の取引案件も来るようになり、前述の「コトづくり」をはじめとする斬新な活動にもつながった。

鯨の旨煮缶「香味塩味」(左)と「醤油味」(画像提供/木の屋石巻水産)

昨年3月には「鯨の旨煮缶」という商品も発売した。青いパッケージの「香味塩味」と赤の「醤油味」の2種類だ(いずれも税込みで1缶430円)。特に青缶は、ブラックペッパーの効いたネギ塩ダレという味が目新しい。タレが寒天を効かせてジュレ状になっており、食べ終わっても缶の中に残りにくい。細かな工夫で缶詰を進化させている。