中国のネットに「空の椅子」の画像が投稿された
劉氏の文章は中国国内で読むことができず、インターネットで検索することもできなくなった。それでも劉氏の思想と活動は中国で民主化を求める人たちに受け継がれていく。劉氏の死後、中国のインターネットには「空の椅子」の画像の投稿が相次いだ。当局に逮捕される可能性もあるが、人々は投稿をやめなかった。生前の劉氏が語っていた通りだ。
「どのような力も自由にあこがれる人間の欲求を阻止することはできない」
――毎日新聞 7月15日<社説:平和賞の劉暁波さん死去 自由への欲求は消せない>
――毎日新聞 7月15日<社説:平和賞の劉暁波さん死去 自由への欲求は消せない>
7月14日、劉氏の「遺稿」とされる文書が香港のインターネットメディアによって報じられた。写真家だった妻の劉霞氏が出版を予定している写真集の序文として書かれたものだ。序文を依頼した劉夫妻の親友・G氏は、取材に対して劉氏の音声メッセージが存在したことを明かしている。それは次のようなものだった。
「私のことは心配しないでください。私はこれでも、かなりしぶとい方なのです。今まで色々なことを経験しました。これくらいのこと何でもありません。私はきっと最後まで頑張ります、劉霞のためにも……」
――ハフィントンポスト 7月18日<「私たちは愛の眼差しで満ちていた」劉暁波氏の『遺稿』公開。愛する妻に捧げた最後のメッセージ(全文)>
――ハフィントンポスト 7月18日<「私たちは愛の眼差しで満ちていた」劉暁波氏の『遺稿』公開。愛する妻に捧げた最後のメッセージ(全文)>
劉氏が最後に病院で治療を受けている短い期間、妻は夫の世話をすることを許された。それまでは手紙のやりとりも検閲され、妻も長期間にわたって軟禁されていた。2人はつかの間の再会を喜んだという。
暴力を憎み、言論と対話で中国の民主化と平和を実現しようとした劉氏。その不屈の魂の源にあったのは、もっとも身近な人への愛だったのかもしれない。2009年の陳述書ではこう書かれていた。
「あなたの愛は太陽の光だ。牢獄の高い壁を飛び越え、鉄格子を通り抜ける」
「たとえ粉々に打ち砕かれても、私は灰となって君を抱きしめる」
――ニューズウィーク日本版 7月14日<獄中の劉暁波が妻に送った「愛の詩」>
「たとえ粉々に打ち砕かれても、私は灰となって君を抱きしめる」
――ニューズウィーク日本版 7月14日<獄中の劉暁波が妻に送った「愛の詩」>
妻の劉霞氏は現在も外部との接触を断たれ、重度のうつ状態にあるなど健康が悪化している。劉暁波氏が亡くなって1カ月たった8月13日、劉氏を支持する国内外の40余りの団体が、連名で劉霞氏の解放を求める声明を発表した。中国民主化運動の象徴であり、「愛で憎しみを溶かしたい」と訴え続けた劉暁波氏は、死してなお、中国政府に恐れられているのだ。
(写真=AP/アフロ)