これは東大の歴史学の先生が中高生20人を相手に5日間で日清戦争から太平洋戦争までを通覧したときの講義ノートである。一読して深く印象に残ったのは歴史を読むうえで必要なのは、知識よりもむしろ知性であるという著者の信念である。
著者が生徒たちの前に差し出すのは、「知識」ではなく、ましてや「史観」でもない。もっとずっと生々しいもの、すなわち「史料」である。個人の書簡、報告書、日記、地図、統計数値、そういうものがごろりと生徒たちの前に投げ出される。生徒たちはそれが何を意味するのかについて推論することを求められる。
事後的にはどれほど愚かしく邪悪なものと思えるような歴史的選択も、リアルタイムでの主観からは合理的で倫理的なものとして映現することがある。私は経験からそれを学んだが、著者もこの点についてはたぶん私と同意見だろうと思う。どのような理不尽と見えるふるまいにも主観的には合理性がある。
「あとぢえ」で、すでに起きてしまったことの理非について判定することはたやすい。むずかしいのは未来がどうなるかわからない時点で、何が起きるかを適切に推理することである。
太平洋戦争の大敗の理由の一つは日本がアメリカの航空機生産について見通しを誤ったことにある。1939年時点で日本はアメリカの2倍以上の航空機生産能力を誇っていた。しかし、2年後にはアメリカは年間2万機、日本の4倍に逆転した。
前例に固執する知性はしばしば未来予測を誤る。同じく、東条内閣が開戦決定の論拠としたのは、ドイツがソ連と休戦協定を結べば、西部戦線に戦力を集中できて、イギリスを屈服させ、その結果アメリカが継戦意欲を失うだろうという戦争終結シナリオだった。「希望的観測をいくえにも積み重ねた論理」ではあったけれど、その予測通りにことが進む可能性はゼロではなかった。開戦を決定した人々に欠けていたのは倫理性ではなく適切な推論をなす力であった。
その半面、国民党政府の駐米大使であった胡適はすでに35年の段階で、日中戦争の最初は中国軍が負け続けるが、戦線が広がり、日本軍の兵站線が延び切ったとき、ソ連が北方の手薄に乗じ、英米が南方の自国植民地への脅威を感じ、太平洋を主戦場にした戦争が始まるだろうと正しく予測していた(この話はこの本ではじめて教えてもらった)。
著者は講義の中で、近代史上の事件について、中高生たちに未来がどうなるかまだわからない時点に仮想的に身を置いて、「これから起きること」について推論させるということを何度か試みさせている。歴史的知性とは、歴史的事実の堆積から「鉄の法則性」を引き出す知性のことではなく、未来がまだわからない時点においてなお蓋然性の高い推理ができる知性の働きのことであるという著者の信念に私は深く共感するのである。