言葉には読む、聞く、話す、書くの4技能が必要

三宅義和・イーオン社長

【三宅】日本に戻られたのはいつですか。

【吉田】カナダの中学校には進んだのですが、その年の11月に父親の帰国に伴い出身地の京都に戻りました。けれども、海外では家でも英語で過ごしていましたから、今度は日本語がわかりません。せいぜい、友だちと遊ぶ会話ぐらいしかできない。

カトリック系の進学校に中1の3学期から編入したのですが、なにしろ、教師が何を言っているのかわからないし、黒板に書く文字が読めないわけです。しかたなく、必死に写して家に持って帰り、両親に読んで説明してもらおうとしたのですが、漢字の偏とつくりが極端にはなれていたりして、父が「俺には読めない」と(笑)。そんな状態でした。

【三宅】それは辛かったでしょうね。ただ、英語も日本語も読む・聞く・話す・書くという4技能の大切さを実感として体験されたということにもなると思います。

そこで、英語改革の話に移りたいのですが、2014年に先生も加わっておられた文科省の有識者会議が「グローバル化に対応した英語教育改革」の提言を発表しています。この時、メディアの報道で、英語4技能という言葉が大きく取り上げられました。英語力の重要性は誰もが理解できると思うのですが、英語でのコミュニケーションを図る上で英語4技能が明示されたのはなぜでしょうか。

【吉田】言葉には、やはり4つの技能が必要です。人類史を見ても、最初はスピーキングとリスニングしかないわけです。やがて、文明が発達してくると文字が発明され、リーディング、ライティングが加わってきます。これらをきちんとした形で認識していかないと、本当の意味での総合的な語学力は身につきません。

日本の英語教育はほとんどが読むことに徹してきました。それと文法を学ぶことで言葉のメカニカルな部分だけを教えられてきたのです。しかし、それでは英語はしゃべれないということは、たぶんみんなわかっていたと思います。だが、高校、大学の入試が読解とか文法の知識を問うものでしたから、そうせざるをえない。おそらく、日本では中・高6年間の英語教育を通して英語が使える人材を育成するという考え方はなかったと思いますね。

ところが、90年代あたりから、国際化に伴い「このままでいいのか」という疑問が、企業側から非常に強く出され、英語ができる人材の必要性が叫ばれました。99年には「21世紀日本の構想懇談会」が、時の小渕首相に報告書を出しています。そこでは「グローバルリテラシーを身につけなければ、日本は国際社会で完全に沈没してしまう」と警告を発しました。

そこで、これまでの英語教育ではダメだということで、それまでの学習指導要領ではバラバラだった4技能を一体として教えることが本来の語学学習の姿であるとして、現在の学習指導要領ができているわけです。

ただ、なかなか本当の意味での力がついてこない。有識者会議も、引き続いて議論をする中で出てきたのが、4技能を統合することをめざしても、結局教えていることが従来と変わらない知識偏重の英語教育でしかなかったという認識でした。これは変えなければいけないということで「can do」、すなわち、英語で何を知っているかではなく、何ができるようになるかっていうことを主軸に目標設定とすることが決まりました。ここが、新しい学習指導要領の一番の目玉と言っていいでしょう。