休日返上で夜中までゲーム制作に取り組む

国家経営も事業運営も“創造と破壊”といっていい。とりわけ、ゲームのように技術革新のスピードが急速な業界にあっては、それは避けて通れない。今日のベストセラーであっても、そこに胡坐をかいていれば、すぐに陳腐化し、ファンに飽きられてしまう。

襟川社長が最初に手がけたのは、PCゲームだが、1983年に任天堂が発売した「ファミリーコンピュータ」が爆発的に売れ、家庭に入っていく。この分野は、ゲーム機がどんどん高性能化し、それに合わせるようにゲームソフトも作り替えられる。『三國志』もその一つだが、そうした流れを的確に掴み、会社を成長させたのは襟川社長の手腕によるところが大きいといっていい。実際、78年の設立からずっと走り続けてきた。

「50歳までは、ほとんど休みなし。休日返上で夜中までゲームづくりに取り組んだことも珍しくありません。好きなことを仕事にしているから苦痛ではありませんが、体を壊す経験をしてからは、さすがに健康面にも配慮しています。ゴルフもそうですが、毎週水曜午後にはスポーツクラブに行き、2時間ほどトレーニングをして腹筋や背筋を鍛えます」

とはいえ、経営環境は絶え間なく変化を続ける。ゲームのプラットフォームはスマホにシフトし、そこでは他社とのコラボレーションも当たり前になった。さらに、ゲームを原作としてアトラクション、小説、映画、コミックを生み出すメディアミックスも加速している。コーエーテクモの精神は「創造と貢献」だ。新しく、そして、面白さでユーザーを魅了するというシーンを実現していくためには、まだまだ、襟川社長の出番は少なくないはずだ。

コーエーテクモHD 社長・ゲーム作家 襟川陽一
1950年、栃木県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。78年光栄設立。コーエーテクモホールディングス誕生により、2010年11月から現職。
(小倉和徳=撮影)
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