またある女性は、遺産のことで悩んでいました。自分が死んでからどのように分配すべきか、家族がきちんと話し合ってくれるのか、不安で仕方がないというのです。

これに対する私の答えは「ほっとけ」です。自分が死んだあとのことは、なるようにしかなりません。もし何か対策を講じたいなら、遺言書を書けばいい。ですが、きっと彼女の悩みの本質は、家族とのコミュニケーション不足によるものでしょう。悩みを聞いていくと、その根っこに大きな後悔が潜んでいることがあります。死が迫っていたとしても、やれることはあります。悔いを残さないよう行動を起こすのもひとつの手でしょう。

写真=飯田安国

肺がんにかかったある男性は、自分がタバコを吸い続けてきたことを後悔していました。たしかに、タバコを吸えばがんになる可能性が高まるとされています。

ですが、がんを含めたすべての病気は不条理なものです。つまり、人間には病気をコントロールできないのです。もしタバコを含めた生活習慣で「やめたほうがいい」と感じるものがあれば、今からやめればいい。ですが、病気になってから「あれが原因ではないか」と想像して、後悔するのは無駄なことです。

過去に犯した罪を悔いる人もいますが、それもタバコと同じこと。変えられない過去についてあれこれ後悔するのはやめましょう。

病気というより、死に対して漠然とした不安を抱える人もいます。死後のことは誰にもわからないので、不安に思う気持ちもわかります。もし信仰がその不安を解消してくれるなら、何かを信じてもいいでしょう。

ですが、死を恐れる人たちに対して、私はいつも自分の死後の夢の話をします。私の夢は、尊敬する勝海舟と新島襄、内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄そして吉田富三と私の8人で天国にカフェを開くこと。死後のことはわからないのだから、どんな夢を持つのも自由。信仰に頼らなくても、心を穏やかに保つ方法はあるのではないでしょうか。