富裕層は知る、生活満足度と幸福感情は「全く別物」

それとは反対に、こうした飽和点は存在しないという見解もあります。

ミシガン大学のジャスティン・ウォルファース教授とベッツィ・スティーブンソン准教授はお金があればあるほどますます幸せになり、そこには飽和点はないとの主張です。

彼らは、富の増大の収穫逓減を示しているグラフで、収入を「絶対値」で表すのではなく、「対数」で表示した場合、曲線ではなく終点のない直線として上に伸びると述べています。

ただし、これは国民ひとり当たりのGDPでの国際比較データをもとにしていますので、僕らが本当に知りたい、年収がすごく高い場合のデータを示すものではありません。

そんな中、1つ面白いデータがあったので紹介しておきます。アメリカ人の世帯収入別に、幸福度や生活満足度を聞いた内容です(https://www.econstor.eu/bitstream/10419/80577/1/74546050X.pdfPDFの16ページ

サンプル数が1014しかありませんが、世帯年収50万ドル(現在のレートで5700万円ほど)以上までのデータがあるという意味では興味深いです。

これによれば、世帯年収50万ドル以上の家庭は「全員(100%)」が「大変幸福である」で、生活満足度も全員が「大変満足している」となっています(他の年収層の回答では、100%はない)。でも、客観的に考えてこの100%という数字はありえないように思います。

僕は先日、確定申告を終えたところで、個人年収は今年人生で初めて10億円を超えましたが、生活満足度は「大変満足している」と言えるとしても、日々の幸福感情は家庭内の離婚協議のごたごたで「あまり幸福ではない」状態にあります。生活満足度と幸福感情は全く別物だからです。

世帯年収50万ドル以上の家庭が生活満足度に100%「大変満足している」としても、幸福感が100%「大変幸福である」というのはまずありえないと思います。

「飽和点が存在し、一定レベルまで所得が上がったら幸福度は上がらない」というイースタリンの逆説が正しければ、高所得者がどこまでも収入を増加させることを目指しても、さらなる幸福の増加には「まったく」あるいは「ほとんど」つながらないということになります。

また、対数で収入の値を表示した場合にどこまでも幸福感が伸びるとしても、現実的に所得を一定の水準を超えて指数的に伸ばし続ける人が世の中にいるかと言えば、ほとんどいません。とすれば、いずれ幸福感はストップすることになります。

とすると両理論の結論は、実質的には“同じ”なのではないのかと感じます。