1000億の見積もりを300億にする知恵とは?

豊田家は創業の地である三河という風土の影響を受け、基本的には地味な家風だと言われています。トヨタの本社は愛知県にありますが、自分たちは派手な尾張ではない、非常に質実剛健な三河者であるという考えが今もしっかりと生きています。

トヨタは「人を切らない」ことで知られています。バブル崩壊後、日本企業の多くは「リストラ」という名のクビ切りを行うことで利益を生み出しましたが、トヨタはたった一度のクビ切りを除いて今日までリストラを行っていません。それは1950年の苦い経験があるからです。その年、トヨタは倒産の危機に瀕し、銀行から融資を受ける代わりに豊田喜一郎の社長退陣と、1600名の解雇を行った。これは「社員は家族であり、会社の宝である」と従業員を家族のように大切にする「温情友愛」を旨とした喜一郎にとっても、トヨタの役員にとっても痛恨の出来事でした。以来、トヨタは危機に陥らないように努力を続けています。

この考えをトヨタに徹底したのが、喜一郎に代わって社長に就任した石田退三です。石田には「自分の城は自分で守れ」という有名な言葉があります。国の助けなどに頼るのではなく、自主独立、自力邁進で道を開くという考え方です。それが資金面においても徹底され、ムダを省いて自前の資金を蓄えた結果、「トヨタ銀行」と呼ばれるほどの豊富な資金力を持つことにつながったのです。

今でこそトヨタの本社は立派な高層ビルですが、数年前までは「えっ、これが本社?」というほどの建物でした。工場や設備にはお金をかけても、本社や事務関係にはお金をかけない風土がトヨタの「質実剛健ぶり」をよく表しています。倒産の危機に瀕した際にお金に困った苦労が今も身に沁みているのです。

東日本大震災2年後に計画された東北工場を造る際は、当初1000億程度の見積もりがなされていました。しかし、章男社長の「そんな馬鹿なことはない。知恵を使え」という指摘で、改善によって約200億~300億円ぐらいまで予算を詰めたといいます。

2009年にトヨタ自動車11代目社長になった豊田章男氏。6代目社長の章一郎氏の長男。祖父はトヨタグループ創始者である佐吉の長男で、2代目社長の喜一郎氏。(写真=アフロ)

トヨタでは、「改善は知恵とお金の総和である」と言います。総和というのは足し算。つまり、お金をかけずに知恵を出せということです。コストを抑えることを日々の改善で行っている。いわば、トヨタ式というシステムそのものに家訓が組み込まれているのです。それが豊田家の家訓が今も生きている理由です。

章男社長の父親である豊田章一郎名誉会長に「豊田家の全財産を失っても納屋だけは守れ」という言葉があります。「納屋」というのは静岡県湖西市にある豊田佐吉記念館に保存されている佐吉の生家と納屋のこと。佐吉は大工である父親の仕事を手伝いながら、納屋にこもって織機の研究と改良に励むことで「自動織機」を発明しました。この納屋こそがトヨタグループの原点。トヨタはそれを今も大切に保存するだけでなく、トヨタグループの社員は定期的に見学に訪れます。トヨタ式の基本にあるのは創業者である佐吉、そして喜一郎の考え方なのです。