売れ残りとしての在庫の存在を目の当たりにした企業は、大幅な生産調整を行う、と仮定する。労働者をレイオフしたり、パートタイマーを解雇したりして、生産量を少なくするのである。すると、生産量の減少から、次期の家計部門が貨幣で受けとる所得の総額は今期に比べて大幅に減少するだろう。
ところが、家計部門の消費のための需要は今期と同じままである。なぜなら仮定(2)(http://president.jp/articles/-/3453)で貯蓄額が決まれば消費額は決まってしまう、とされており、その貯蓄額は企業部門の投資額と一致するように決まり(投資と貯蓄の均等原理)、企業部門の投資額は、利子率が一定とのもとでは一定であると仮定されているからである。
しかし、今期と同じ消費を行うには、次期の所得として得た貨幣だけでは足りない可能性がある。企業が生産量を減らした結果、国民の所得も減っているからだ。そのとき家計は、今期に余剰として貨幣のまま保有している分を取り崩して、次期の所得に加えて、消費を行うことになるだろう。このことは同時に、次期の生産物が完売した上、企業部門で今期に在庫として売れ残っている分の一部が売れることを意味する。つまり、レイオフや解雇のおかげで、家計部門が保有する貨幣と企業の在庫が追加的に交換されることになるのだ。
このような生産の縮小と在庫の消化とは、じわじわと進行するのだろうが、話を手短にするために、次期にすべての在庫がぴったり解消されてしまったとしよう。するとどうなるか。次期に今期の在庫がすべて解消された、ということは、要するに、今期と次期の2期間で合計すれば、有効需要(つまり、消費需要+投資需要)の2回分の生産がちょうど行われ、それがぴったりと購入された(消費と投資がなされた)ことになる。つまり、今期に有効需要を越えて生産された分は、次期の生産縮小でぴったり相殺され、2回の経済活動を平均すれば、1回あたりちょうど有効需要の分だけ生産され、ちょうどぴったり消費と投資に利用されたことになるのである。
このようにして、経済規模は常に有効需要と同じ水準に固定されることになる。そこからの生産量の揺らぎは、生産規模の調整によってそのうち相殺されることになり、平均的に見れば、有効需要の水準から決して脱出することはないわけである。
ちなみに、このような在庫の発生については、ラルフ・ホートレイという経済学者とケインズの間で長い激論がかわされた経緯があった。ホートレイは、ケインズが設備・機械などの固定資本と在庫資本の区別を無視したために混乱を起こしている、と批判し、それにケインズが再反論した。
この点について、日本のケインジアン第一人者である宇沢弘文は、軍配をホートレイのほうにあげ、ケインズは在庫に関して深刻な誤謬をおかしている、と指摘している。今のぼくの説明は、ホートレイ的な視点に立ったものであるが、皮肉なことに、むしろこのように在庫の発生を導入したほうが、ケインズの有効需要の理論をより明快に説明できるように思える。
●この連載は、小島寛之著『容疑者ケインズ』の第1章の一部、ケインズの「一般理論」の批判的解説を転載したものです。