「国際金融、経済の分野で極めて優れた見識を持つ人物で、強い経済の実現に向けて、菅首相に助言をしてもらう」

記者会見に臨んだ仙谷はこう絶賛し、ある人事を発表した。国際協力銀行(JBIC)の前田匡史・国際経営企画部長を「内閣官房参与」に任命。内閣官房参与。聞き慣れない肩書だが、その役割は首相のアドバイザーかつ、指南役である。高度な役回りゆえ、今までは事務次官OBや首長経験者から選ばれていた。優秀な人材が揃う政府系金融機関とはいえ、一介の部長が座れる席ではない。それを承知のうえでの、仙谷の決断だった。

前田は東京大学法学部を卒業後、1982年に旧日本輸出入銀行(輸銀)に入行。頭角を表すのは、99年に篠沢恭助元大蔵省(現財務省)事務次官が、輸銀と海外経済協力基金が統合して誕生したJBICの副総裁に就任してからだった。

日インドの経済連携協定を調印(AFLO=写真)
写真を拡大
日インドの経済連携協定を調印(AFLO=写真)

前田の行動力、語学力、人脈を買った篠沢は、前田を特命審議役に任命した。その後、前田は米国の有力シンクタンク「ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院」(SAIS)の客員研究員にもなり、専門領域を経済、通商問題のほか、安全保障やエネルギー政策、中東政策へと広げていく。前田のSAIS人脈は、米国NSC(国家安全保障会議)、ペンタゴン(米国防総省)へとつながり、さらに中国、インドの閣僚クラス、UAEなどの中東王族へと深まっていった。彼の人脈は、インフラ輸出、特に原子力に活路を見出す仙谷の戦略と一致した。

前田は、「内閣官房参与」に任命される前の3月、ベトナムのハノイを訪問している。ハノイではホー・ドク・べト・ベトナム共産党中央組織委員会委員長と面談し、日本の原子力発電所の能力の高さ、またその導入がベトナムの経済効力をいかに高めるかを説明してきた。前田の訪問は、およそ2カ月後、前原誠司国交相(当時)を伴ってハノイを訪問した仙谷たちに対しての地ならしでもあった。

数千億円から数兆円を超える巨大プロジェクトである原発ビジネス。資金的なバックアップもJBICを最大限に活用し、財務省にも協力を取り付け、外貨準備を活用するなどの手立てが整いつつある。また政府の考えを一本化させるために政府全体の取りまとめ役をする「各省連絡幹事会」が設けられるが、その座長には望月晴文経産省前事務次官が任命されることが内定。望月といえば、先に触れたカザフミッションの立役者の一人だ。

「俺の体を使ってくれ。いつでもどこにでも親書を届けるくらいはできる」

自ら仕掛けた原子力大国、日本を実現させるべく再び表舞台に戻ってくる。(文中敬称略)