「違うもの」として共存する

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

あるアーティストの不倫(相手も芸能籍)が暴かれ、世間はこの話題で持ち切りになりました。一般人から「あいつまたやってるよ。相変わらずゲスな奴だな」と批判はされても、社会的な責任を問われたり、テレビ出演などの活動を辞めたりする必要はありません。

もちろん、そのアーティストのことが嫌いになる人もたくさん生まれましたが、別に構わない、曲や詩が素晴らしいから好きなんだというファンもたくさんいて、堂々とコンサートに出かけていきます。

……と、ここまでが僕がみた夢の話です。

あくまで夢の話です(笑)。真顔で言っていたら暴論です。

ただ、僕たちは「違い」をあえてはっきり説明し認識することで、生き方や価値観の異なるものを許すことができるんじゃないかと思うのです。自分と同じカテゴリの存在だと思うからこそ(境界を曖昧にされるからこそ)、その中での違いや逸脱が許せなくなっていく。それを許すことは、一定の「規格」を守って生きている自分の存在を否定することにつながるからでしょう。

これは別に、芸能人との間のことだけではないと思います。ここのところ、でやたらと「多様性」が叫ばれています。たとえば、グローバル化で民族や宗教の垣根を越えると、そこにはいろいろな文化や価値観があります。そして、その中には受け入れがたいものもいっぱいあるでしょう。

それを、同じ人間だからといって「境界をなくそう」「ひとつにしよう」というのには無理があります。「違いなんかないんだ」と言って無理に「同じ」にしても、結局はそこから変な憶測や差別意識が生まれ、排他的な言動が飛び交うことになってしまうのだと思います。この「違い」は、同じ民族や国民の中にもたくさんあります。LGBTの問題などは、みんなが「違い」をきちんと知って理解しあえて明確化することで、お互いが受容できる社会ができつつあります。

「多様性」を促して価値があるものにしていくためには、「違うもの」をあくまで違うものとして認め、その違いをしっかりと理解した上で共存することが必要です。もちろん、異なるもが同じ時間や空有感を共有することで、それぞれの「自由」は摩擦をつくりだし、お互いに我慢したり譲り合ったりしなければならない「制限」も生まれてきます。それでも、「違いと共存できる」ということが一人ひとりの心の余裕や選択の自由、さらには自分という存在への肯定につながっていくのだと思います。

ある夢を見た、ということから、ちょっと大げさな話になってしまいました。