「凡事」への対処にその人の意識が透けて見える

では、行動や思考をいかに変えるのか?

「凡事徹底」という言葉がありますが、そこにヒントがあるかもしれません。臨済宗全生庵の平井住職の書籍『人生を変える禅の教え』には掃除の話ができています。

一部抜粋します。

<寺では掃除も大切な修行です。掃除が終わると必ず上の者が点検に来ます。私も最初の頃は、「たかが掃除だと思って適当にやったな」と怒られることが多々ありました。ちゃんとやったつもりなのになあと思うのですが、自分が点検する側になると、なるほど確かに、適当にやった掃除はすぐにわかると気づきました。>

掃除という凡事に、その人の意識が現われるということなのでしょう。

先日、入社2年目のビジネスパーソンの研修をしましたが、休み時間に次のような声が聞かれました。

日常の業務に対する不満です。
「なんで俺がコピー取りをしなきゃいけないんだ」
「部長にボールペンを会議室まで持ってきてと言われたが自分で持って行けよと頭にきたよ」

コピー取りに文房具の調達。ザ・雑用です。誰にでも簡単にできる雑用。凡事の極みです。しかし、それを命令された際、どう対処するか。

愚痴をこぼしていた人々の気持ちは周囲の上司や先輩に筒抜けだったに違いありません。「イヤイヤやっているな」と。行動や態度を見れば、すぐわかります。

ところが、雑用も若手の仕事と割り切って「その先へ」進もうという仕事への意識が高い人は、使いっ走りを誰よりもきちんと務めあげるのではないでしょうか。先輩たちは内心思うはずです。「こいつは使えるかもしれない!」

まさに凡事から仕事への意識が透けて見えてしまう、恐ろしい現実です。