米国民の「ダークな側面」は民主主義を脅かす
トランプ氏当選のリスクについて考える時には、長期的なリスクと短期的なリスクについて分けて考える必要があります。つまり、米国の人口動態や、経済構造や、国民感情の長期的な趨勢に基づく傾向は、誰が大統領になろうが存在するリスクです。識者の中には、トランプ氏が当選するとリスクが顕在化し、クリントン氏が当選していたとすればリスクは回避できたとする前提を置いている方がいますが、長期的な趨勢に関する限り、誰が大統領の座にあろうと大きな差異はないはずです。
例えば、安全保障の分野でも同じような傾向が存在します。米国民全般が、米国の安全保障について新たな発想にたどり着きつつあるのです。今後は、イラク戦争のような米国の安全保障に直接関係しない紛争への介入は慎重な上にも慎重に判断されるでしょう。冷戦時代に形成された、同盟国の防衛義務についても同様です。より直接的に同盟国の費用分担を本求め、同盟国が関わる地域紛争に巻き込まれる事態は極端に嫌気されるはずです。一般的な米国民は、南シナ海の紛争にも、東シナ海の紛争にも関心はないのですから。
経済の分野でも同じような構造が存在します。NAFTAをはじめとする貿易に対する保護主義的な性向は現在の米国民が広く抱えているものです。その傾向は、クリントン氏が当選していたとしても変わらなかったでしょう。世界でもっとも大きく、もっとも豊かな米国という市場が世界から閉ざされるようなことがあれば、世界経済は持ちこたえることができるのか。戦後の日本の復興や、韓国、東南アジア、そして中国の経済成長は、米国市場へのアクセスが保障されたことによって実現したものです。日本をはじめとするアジア諸国にとって米国市場へのアクセスを確保し続けることがいかに絶対的に重要な戦略目標であるかを再認識せずにはいられません。
もちろん、トランプ氏個人、あるいはトランプ氏が任命するであろう高官や、その周りに集う支持者達の属人的な性質に伴う、短期的なリスクも存在します。トランプ氏が米国民の対立を煽り、人々が深層に抱えるダークな側面に力を与えたという批判は的を射ています。トランプ現象に、経済面を中心に一定の正義があったかどうかとは別に、その運動が人種差別的で、外国人恐怖症、女性憎悪(ミソジニ―)、イスラム恐怖症(イスラム・フォビア)などの現代の米国社会の病理を抱え込んでいたことは事実です。これらの、リスクを具体的に顕在化させないことはとても重要なことです。そこには、トランプ氏個人が果たさなければいけない責任もあるでしょうし、いまほど、自由主義や立憲主義などの米国の民主主義を守るための諸制度の存在意義が問われている時はありません。