「性善説の経営」の落とし穴

日本企業の組織コントロールの傾向を見ると、かつては「価値観」が非常に強かったといえます。終身雇用や年功序列といった日本型経営が重視され、「会社は人生」「同僚は家族」という空気が社内にありました。そうした強い「価値観」の下では、社員の会社への忠誠心は高く、仲間を裏切るような不正行為は起きにくかったと思います。

こうした状況が変わり始めたのは、90年代にバブルが弾けた後、日本企業にも成果主義が導入されるようになった時期です。この頃は、経営者も社員も、従来の家族的な経営は古いのではないかと考え始め、多くの日本企業が成果主義という「お金」によるコントロールを強めようとしました。

しかし、成果主義はなかなか日本の風土に合わず、一度は導入したものの取りやめた企業が多くありました。このとき、「お金」によるコントロールは弱まったわけですが、その代わりに再び「価値観」を高めたかというと、それは古いといって何もしなかった企業が多かったのではないでしょうか。

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日本企業の組織コントールの変遷

今、企業の中堅を担っているのは、この頃に入社した社員たちです。そのため、この世代は、かつての強い「価値観」の下で育ってきた経営層と比べると、会社への忠誠心ははるかに低いはずです。しかも、待遇がそれほどいいわけでもない(「お金」によるコントロールも弱い)。そのような状況では、「コンプライアンス」を中途半端に叫んでも限界があります。このように、会社と社員がいかに方向性を共有して進んでいくか、ということに対して、三菱自動車も、また同様に燃費不正問題を起こしたスズキも、認識が甘かったのではないかと思います。

先述の通り、「お金」「ルール」「価値観」のうち、どの要素を強めるべきかは企業によって異なります。

外資系投資銀行は、好成績を上げるほど高報酬を得られるという「お金」でのコントロールが強い傾向にありますが、それだけでは、社員が成績ばかりを追求して不正が起こる可能性があります。そこで、ITによる監視を徹底し、「ルール」も強めて社員をコントロールしています。

一方、多くの日本企業は、伝統的に「お金」や「ルール」を強めるよりも、性善説に立って組織を運営してきたといえます。性善説は悪いことではありませんが、それを担保するには、「価値観」を共有して会社への一体感を高める努力が必要です。その努力が十分ではないため、苦しくなると「会社のため」が言い訳になり不正に走ってしまうのではないかと私は捉えています。