(A)聞き上手の地元医師(B)大学病院の有名教授
風邪をひいたら葛根湯を飲むという人は多いが、漢方薬は体質や病状を詳しく聞いて一人一人違う処方をするのが本来であり、そこから考えると日本での使われ方は間違っているらしい。
問題のある医師が闊歩する中で、私が考える良い医者とは、一人一人に合った治療ができる医者だ。具体的には患者の話をきちんと聞くことができるか、患者にもわかるように説明してくれるか、治療の選択肢を示してくれるかが問われる。
高血圧を例にして説明しよう。適切な治療のためには、その患者が何を求めているのかを聞き出す必要がある。ところが検査データしか見ないような医者は、患者に有無を言わさず、薬を出して基準値まで下げることしか考えない。結果、患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を著しく低下させる可能性がある。
そうではなくて、「高血圧のままだと20年以内に死ぬ確率はこのぐらいですが、活発に活動できる期間は長いでしょう。血圧を下げたら元気ではなくなるかもしれないが、30年ぐらいは生きられるでしょう。どちらがいいですか」というようにいろいろとデータを示したうえで、患者自身に生き方を選ばせてくれるような医者なら、安心して治療を受けることができる。
同様に不満や不安を抱えながら大きな病院にかかるよりも、口コミで選んだ近くの病院に通うのも悪くはないだろう。
不必要な治療や薬漬けになることは避けたいという人には国保直営施設や、地域医療に取り組んでいる病院などもおすすめだ。国保直営施設は市町村国保や組合国保が医療施設を運営している。病院が単体で収益を上げなくとも、保険加入者が健康を維持できれば結果的に保険料の支払いが少なくてすむ。地域医療といえば、沖縄を抜いて平均寿命1位になった長野県の取り組みが有名だ。生活習慣の改善や、体力維持に努め、病院にかからずにすむようにしようという考えが根底にある。
一方で、私は大学病院の世話にだけはなりたくない。大学病院というのは宗教のようなものだ。臨床での結果ではなく論文の数で出世が決まるという教えに同調できる医者だけが残り続ける。その宗旨に命を預けて構わないという人は大学病院に通えばいい。
もし私が大学病院で治療を受けなければならない状況になったら、教授が何年前に教授職に就いているかを確認するだろう。教授になれば、何か大きな問題を起こしてクビにならない限り身分は保障される。教授になったが最後、研究を怠け、新しい手技を取り入れることなく定年まで過ごす教授は少なくないはずだ。そういう医者にだけはかかわりたくないものだ。