なぜ本物の棟梁を育てなければならないか
「誰でも10年がんばれば職人としてはものになる。だが、設計や施工管理まで担えるようになるには、努力と才能が必要です。いまは形骸化してしまったが、昔の棟梁はそれをやっていたんですよ。私たちはこの会社で、本物の棟梁を育てていきたい。そうしないと、木造文化が消えてしまいます」と秋元。
建築業界では営業や施工管理以外は外部の下請けに出すのが普通だ。建設工程は分業化され、基礎、足場、型枠など、それぞれ専門の業者に任せる。だが、平成建設はこの常識を打ち破って、建設に関するこれらの主要工程を自社で行い、社員が施工する。そのための多能工化だ。
「元請け、下請け、孫請けが当たり前の建築業界では、現場の職人は元請けの顔色ばかりをうかがい、誰も施主さんの要望をうけとめない。これでは仕事に血が通いません」
昔の棟梁は施主と現場で話し合いながら、臨機応変に設計を変えて要望に応じることができた。だが、いまでは工期短縮と効率化のために施主といえどもその要望を切り捨てられる。
平成建設の職人たちは自分の手で家を作ることに憧れて入社しているだけに、その仕事ぶりは丁寧だ。「作った家を引き渡すのが寂しい」という大工がいるほどである。その仕事ぶりを施主の近所の人たちも評価して、隣同士で連続5軒も建てたことがあるという。
受賞も相次いでおり、2013年度には経済産業省「おもてなし経営企業選50」、2015年度はグッドデザイン賞「ベスト100」も受賞。秋元がゼロから育ててきた職人たちが評価を得る仕事をするようになった。
とは言え、最初から大卒が採用できたわけではない。創業当初は中途採用で職人を集め、1998年頃から新卒を採り始めた。だが、地元の静岡、神奈川からは大学生が集まらない。そこで、秋元は思いきって東京で募集しようと、企業合同の会社説明会に自ら乗り込んで、「やり甲斐」や「大工の面白さ」を訴えた。大阪や名古屋の会社説明会にも足を運び、訴え続けた。初任給も大手ゼネコン並みの給与にした。
しかし、人数合わせに走らず、じっくりと面接し、大工や建築業界を本当に生涯の仕事としたいのかホンネを確認した。大工として採用しても入社後、希望に応じて営業や不動産、リフォームなどの職種に回った人もいる。
2006年度からはインターンシップ制度も始め、卒業予定者に1週間の職場体験をしてもらっている。これも、入社後のミスマッチを防ぐためだ。建築業界では職人が1年で6割辞め、3年で9割がいなくなるといわれているが、平成建設では仕事や会社が嫌になって辞める社員はほとんどいない。