家業の工務店を継がずに就職

秋元は1948年、工務店の長男として生まれた。父は棟梁であり、経営者として20人ほどの従業員を雇っていた。父は秋元を大工にして後継ぎにしようとしたが、本人にその気はなく、高校時代からウエイトリフティングにのめり込み、オリンピック選手を目指した。

高校卒業後は自衛隊に入隊、その体育学校でウエイトリフティングの訓練に明け暮れたが、残念ながら全日本選手権レベルに留まった。その後、授業料免除の特待生として大学に進み、経済学を学ぶが、熱中できず中退。25歳で地元に支店のあったデベロッパーに営業として入社した。だが、その会社の経営が悪化、2年後にハウスメーカーに転職した。

営業の才能があったのだろう、顧客に建物を使った事業プランなどを提案するやり方で、1年目から約2000人もいる営業の中でトップセールスマンになった。仕事をするうちに建築業界の課題を見せつけられた。誰も施主のことを考えないし、自分の知っている棟梁や大工の仕事の質が低下し、惰性で働いている現状に腹が立った。

このままでは高齢化が進み、大工が日本から消える。それならば自分が現状を変えようと、40歳になった秋元は1989年、平成建設を立ち上げた。秋元の考え方に賛同した大工とたった2人のスタートだった。自社で社員として職人を育て、主要工程を内製化する事業プランを親しい経営者や知人は全員一笑に付し、やめた方がいいといった。

「逆に反対されるなら、独立できると思いました。私が相談したみなさんは、仕事のできる有能な人たちなので、少なくとも彼らがライバルになることはありませんから」と、秋元は豪快に笑う。

秋元はべらんめぇ口調で、一見、豪放磊落に見えるが、緻密に長期的な視点で考えている。東日本大震災からの復興や東京オリンピック需要で建築業界は人手不足に陥っているが、じっくりと内製化してきた平成建設にはなんの影響もない。にわか仕立てで経験の少ない職人を使う必要もない。急成長はしないが、ゆっくりと右肩上がりで伸びていける。

多能工化を進めてきたことで、複数の現場に効率的な人員配置が可能なため、工期も短縮、品質も維持できる。その結果、職人を自社で抱えながらも無駄がない。ITも積極的に活用し、設計、積算、発注、工程管理などがシステムで連携され、土地活用、相続税算出などのソフトも自社開発している。結果、大手ゼネコンの営業利益率が平均3%に対して、平成建設は5%に達する。

秋元はこれから海外進出を狙っている。特にアメリカの富裕層に日本の木造建築は高く評価されるはずだと信じている。棟梁が「Touryo」と海外で呼ばれるようになれば、大工を目指す若者がもっと増えるだろう。

(文中敬称略)

株式会社平成建設
●代表者:秋元久雄
●設立:1989年
●業種:建築工事全般、不動産業
●従業員:575名
●年商:150億円(2015年度)
●本社:静岡県沼津市
●ホームページ:http://www.heiseikensetu.co.jp/
(日本実業出版社、平成建設=写真提供)
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