仁孝天皇の第8皇女で、孝明天皇の異母妹にあたる親子(ちかこ)(和宮)が、公武合体策の奥の手として、14代将軍徳川家茂との婚儀のために京都を出発したのは文久元年(1861)10月20日のことだった。親子は有栖川宮熾仁親王と婚約していたが、岩倉具視ら公武合体派が「降嫁」を謀り、解消させられたのだ。
天皇家と徳川家の婚姻は、はじめてではなかった。2代将軍秀忠の五女和子が後水尾天皇の中宮として入内している。また7代将軍家継のもとに霊元天皇の第12皇女八十宮が降嫁する予定で結納まで交わされたが、8歳の家継が夭逝。3歳の八十宮は結納したまま後家となり、以後、幕府は終身500石を進上しつづけた例もある。
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