腹が据わっているといえば、ソフトバンクの孫正義氏も負けてはいない。2001年、同社のブロードバンドのネットワーク構築が遅れ、サービスの開始を待つ顧客の怒りは頂点に達していた。それなのに、局舎間を結ぶのに必要な光ファイバー回線を、在庫不足を理由にNTTが貸してくれないのでどうにもならない。そこで孫氏は監督官庁である総務省に乗り込むと、担当者に向かってこう叫んだ。
「ライターを貸してくれんね。ここで俺は油かぶって死ぬけん」
驚いた担当者はすぐさまNTTに電話をして自ら在庫を確認し、その場でソフトバンクが光ファイバー回線を借りられるよう指導したという。
かつてソフトバンクの社長室長として、Yahoo! BBやナスダック・ジャパン(現JASDAQ)の設立に関わった三木雄信(たけのぶ)氏は、孫氏の決死の発言に驚いたという。担当者をすぐに電話に走らせた迫力は相当のものだったようだ。いざとなったら命を懸けるという心構えで交渉に臨む覚悟は、間違いなく称賛に値する。
「あのビル買うの、やめるわ」
重要な交渉を決める土壇場でこう言ったのは、テンプスタッフの創業者である篠原欣子氏だ。時はバブル末期。篠原氏は、いったんは自社ビル購入を決めたものの、冷静になると、異常な好景気がいつまで続くかわからない不安を感じ、契約日の2日前に白紙に戻す決断をする。手続きはすべて済んでおり、あとは印鑑を押すだけだった。不動産会社側は激怒。だが、篠原氏はひたすら頭を下げ続けた。
しばらくしてバブルは崩壊し、ビルの値段も急落。会社はすんでのところで多額の負債を背負いこまずにすんだ。一度決まった話を自己都合で中止すれば、相手は顔をつぶされたと怒るに決まっている。誰だって「やめる」とは言いたくない。その言いにくい言葉を、たったひとりで相手のところに言いにいった篠原氏の覚悟には、経営者としての固い決意が見えてくる。