口から食べることの大切さ

しかし、考えてほしいのです。実は胃ろうなどの経管栄養は、高齢者の体には負担が大きい処置です。人間は、青年期と違い、中年期、老年期では食べる量は減り、嗜好も異なります。老年期になると、食べる量がほんの少しでも生命を保てているのです。なのに、胃ろうや点滴をすると、栄養が入りすぎて、体が処理しきれなくなります。

ここで問題になるのが、ご家族の気持ちです。親に少しでも長く生きてほしいというご家族の気持ちはわかります。もし延命措置をとらなかったら、した場合より寿命は短くなると思うのです。ご家族が自分を責めたり苦しまれたりします。家族を見送ることは簡単な決断ではないのはわかりますが、もはや栄養をそれほど必要としなくなっている体にあふれるように栄養を注ぎ込むことがどういうことなのかを認識していただく必要もあると思います。

それに高齢者の方にとって、食べることは何よりの楽しみでもあります。好きなものを食べたいときに食べられることが、ひとつの幸せなのです。また、自分の口で食べることは生きることにもつながっています。五感で食を楽しみ、脳に刺激を与えることは、生きる力になります。自分で食べられる人は、表情が生き生きとしています。一方、胃ろうをつけられた方は表情がなく、ベッドに横たわって息をしているだけです。

私の働く施設には、前の病院や施設で胃ろうをつけられてこちらに転院された後、特に脳梗塞の方は、本人の希望で胃ろうを外して、自分で食べられるようになった人が何人もいます。皆さん、元気になって表情が戻っています。やはり口からものを食べるということは、生きる力になると感じます。

命あるものにとって死は必然で、自然の摂理です。死とは生に対立するものではなく、ひとつの流れの中にあるものです。死を怖れて自然に逆らうより、一度しかない人生、残された日々を楽しみ、最期まで生ききることこそが、見送ったご家族にとっても「よい人生を生きたね」と言えるのではないでしょうか。延命治療にこだわらない方が穏やかに最期を迎えることができると思います。

石飛幸三(いしとび・こうぞう)
世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。
1935年広島県出身。慶応義塾大学医学部卒業後、同大学外科学教室に入局。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務した。2005年12月より現職。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか?』(講談社)、『こうして死ねたら悔いはない』(幻冬舎ルネッサンス)など。近著に『「平穏死」を受け入れるレッスン』(誠文堂新光社)がある。
(取材・構成=田中響子)
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