「本来の能力より、継続した努力が大切だ」と知った

▼「無期懲役囚からの手紙」

はじめまして、美達大和です。

私は恥ずかしながら、取り返しのつかない大罪を能動的に起こし、長期刑務所にて無期囚として服役し、早いもので20数年を閲しました。

明確な意思を持った上での所業でしたので、人生が大転換することは覚悟していたとはいえ、後でその誤りに気づいた次第です。己の愚かさに呆れ、取り返すなどできないことにより、獄で終わることを標榜している愚か者でもあります。

さて、息子さんが卒業された学校で月2回、「保護者入門」の講義をしておられるとのことで、私に対して「子供たちの可能性・能力を引き出すにはどうしたらよいか」などという問いをいただきましたが、碇さまのほうが熟知していると拝察いたします。

私の場合は、同級生に勉強などを教える機会が多かった学生時代に「人は努力で大きく変わる」「本来の能力より、継続した努力が大切だ」と知りました。以後、社会人となってからは人を育成する機会に恵まれ、この考えは確固たるものとなったのです。

また、私もわが子に対しては、理想とする父親像がありましたが、自らの愚かさにより、それもかなわず、その分を拙著『女子高生サヤカが学んだ1万人に1人の勉強法』のサヤカさん・ヒロキくん姉弟に伝えたのでした。拙著にありますように、勉強ができるできない点数をとる、そのことよりも大人になってからも目標を持って、それを実現するための手段・技術としての練習として、学生時代の勉強があると考えています。

『女子高生サヤカが学んだ「1万人に1人」の勉強法』(小学館文庫)

たとえ、自分がイヤだと感じることにでも取り組んでいける心の持ち方・態度は大人になってからでも必ず、人生に活かすことができると信じています。さて、問いを大別すると、

(1)なぜ親から見ると子供は「やる気」がないように見えるか
(2)子供が失敗しないように手助けしてやることはプラスかマイナスか

となるのですが、(1)については親と子で、「やる気」についてのイメージに大きなギャップがあるのではないでしょうか。子供にしてみれば、自分ではやっているつもりでいるはずです。親にしてみれば、勉強へのやる気というのは、子供に任せるしかないといったところだと思いますが、子供をその気にさせるようなアプローチが下手(もしくはしていない)というのも一因のような気がします。