チャーチルが今生きていたら……

チャーチルが今生きていたら、EUについて何をしただろうか? ユーロのことはどう考えただろうか? EUの労働時間指令について何と言っただろうか? 共通農業政策については? ある意味でこれらの問いはすべて、チャーチルにとってはとるにたりないことである。

われわれはこの偉大な人物をこのようなくだらない質問で煩わせることはできない。彼は聞く耳を持たない。神託者は無言なのだ。

われわれにできることは、この種の問題についての彼の思慮に満ちた、明白に一貫した考え方を考察し、何らかの一般的な原則を提示することだろう。

チャーチルはフランスとドイツの間にほんの少しでも紛争のリスクが存在するかぎり、両国の連合を望んだであろう。そして生涯を通じてリベラルな自由市場論者だった彼は、巨大な無関税圏内の縦横な自由貿易を支持しただろう。

彼はまた、いかなるヨーロッパ機構でもアメリカと緊密に結びつくこと、そしてイギリスがその関係を積極的に強化する助けになることを望んだだろう。

そして攻撃的なロシア、その他の外部からの脅威に対する防波堤としての統一ヨーロッパの重要性を認識したであろう。

さらに彼は国家首脳レベルに自ら関わることを望んだであろう。世界指導者の重要な首脳会談が彼抜きで行われることを彼が許すことは、もはや私たちには想像できない。

彼は可能なかぎり、最大限に下院の主権を守ろうとしただろう。彼が生涯をかけて守り、人生を捧げた民主主義を守ろうとしただろう。

1917年3月5日の夕方、彼は自由党の下院議員アレクサンダー・マッカラム・スコットとともに灯の消えた下院議場を後にした。彼は振り返って言った。「見てごらんよ。この小さな場所が、われわれとドイツの違いをもたらすのだ。このおかげで、われわれは苦労しながらもどうにか成功にたどりつく。ドイツにはこれがないために、あの素晴らしい効率性は最終的には悲劇につながるのだよ」。

もちろんこうした切実な希望は、超国家主義によって国家主権を制限する道を選んだ今日のヨーロッパにおいては自己矛盾にも見える。しかしチャーチルが1945年に有権者によって退けられなかったとしたら――もし彼が、壁が濡れているうちに統一ヨーロッパのフレスコを描く作業に加わっていたら――このような矛盾はけっして起こりえなかっただろう。

ヨーロッパにおけるチャーチルの遺産は偉大且つ善意に満ちたものだった。正確にはイギリスにどのような役割を果たさせようと思っていたかはともかく、彼は西ヨーロッパで70年間も戦争のない時代をつくり出した人物の一人である。70年間も戦争がないということを考えてみるにつけ、奇妙な気さえする。

そしてチャーチルの影響はヨーロッパからはるか遠い所にも及んでいる。そしてそれは大体において歓迎すべきこととされている。

本連載は書籍『チャーチル・ファクター』(ボリス・ジョンソン著)より抜粋。

(訳=石塚雅彦・小林恭子)
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