※本稿は、ボリス・ジョンソン(著)、石塚雅彦+小林恭子(訳)『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)の第12章の一部を再編集したものです。
アイデアだけの「興行主」ではない
おそらく、チャーチルを評価するに当たって最大の間違いは、彼を声量豊かな、表看板だけの名士、(葉巻をくわえたロナルド・レーガンのような)アイデアだけのたんなる興行主と見なすことだろう。レーガンはあるとき、自分の生き方について次のように言って有名になった。「大仕事をしても死ぬことはないと人々は言う。しかし私が思うに、なぜその危険をおかすのか?」
これはチャーチルの教訓とはまったく違った。本を書くという仕事にしても、彼は全部で31冊も書いた。その14冊は書き下ろしであって、どこかに発表したものの寄せ集めではない。英国議会討議録に収録されている彼の無数の登録事項を数えてみるとよい。64年間にわたり、ほぼ切れ目なく議員として毎月何十もの演説、発言、質問をしているのである。公表された演説だけでも18巻、8700ページにのぼる。記録や書簡は100万点の文書として2500箱になる。
財務大臣としては5回予算案を提出した。そして3時間も4時間も演説した(近年の財務大臣は1時間も演説しない)。そして彼にはスピーチライターというものがいなかった。
すべてが自分の言葉だったのである。そして口述をしたり、物を書いたり、人と話したり、絵を描いたり、レンガ積みをしたりする以外の時間、彼は読書によってさらなる知を吸収していた。
ジュークボックスのように詩歌を暗記していた
彼は少なくとも5000冊の本を読んだ。とりわけ彼は詩歌を大量に暗記しており、人々はまるでジュークボックスのようだと言った。ボタンを押すと詩がとうとうと流れ出てきた。シャングリラ・ホテルにフランクリン・ルーズベルト夫妻とともに滞在していたとき、彼がエドワード・リアの滑稽詩を口にして、アメリカ大統領を感嘆させた。
そこでルーズベルトはジョン・グリーンリーフ・ホイッティアーによるアメリカの愛国詩「バーバラ・フリッチー」の有名な一節を引用した。「この白髪頭を撃たなければならないのなら撃ちなさい/でもあなたの国の旗は撃たないでと彼女は言った」。
ルーズベルト夫妻をさらに驚かせたのは、チャーチルがこの詩を初めから終わりまで朗誦したことである。これは南北戦争を題材にした特別にアメリカ的な詩で、チャーチルがハーロー校で習ったとはとても思えないからだ。彼がやすやすとそれをそらんじてみせたのは外交的に見事なことだった。「私と夫は困惑して顔を見合わせました」とエレノア・ルーズベルトは言った。「2人とも、多少はこの詩を思い出せましたが、全部はとても無理だったのです」。