英領インドの政治家で実業家のアーガー・ハーンも、チャーチルが11世紀のペルシャ詩人、オマル・ハイヤームから長い引用を始めたとき、同じような高揚する気分を味わった。この人物は私を感心させるためにこれを勉強したのだろうか? いやそうではない。たまたま頭に入っていたのだ。彼はこうした文学的な“珍味”を長年にわたり蓄積し、ため込んでいたのである。大量の詩篇がアルコールで洗われた脳の小川の中でそれらは完全に熟成した漬け物のようになっていて、チャーチルはどんなときにもそれを取りだして見せることができた。閣議ではマコーリーの『古代ローマ詞藻集』を、子供たちの前ではシェークスピアを暗誦した。齢80歳を超えても記録魔の官僚として知られるジョック・コルビルに向かって古代ギリシャの喜劇詩人アリストパネスの、誰も知らないような詩の一行をさらりと口にしたりした。

15分でも時間があったら、ユーチューブで1951年のチャーチルの党内政治演説の放送本番前の彼の姿を見てみるといい。本番前のカットされたテレビ映像で唯一残っている。スタッフが彼にセリフを繰り返させようと懸命になるなか、これでもかというほどの獰猛な表情でテレビカメラを睨みつけて座っている。そして苦痛を強いるプロデューサーたちについにしびれを切らせ、キリスト教の普及に関するギボンの長い一節を暗唱して仕返しをしたのである。

この天賦の記憶力はリーダーにとって重要である。チャーチルは頭脳に蓄積したこのデータのおかげで議論に勝ち、同僚たちを圧倒することができた。1913年、アスキス首相は恋愛の相手だったヴェネシアにこぼしている。3時間の閣議のうち2時間15分はチャーチルが話していると。チャーチルは難しい交渉に直面したとき、誰もが自然と頼りにする人物となった。人間的な魅力があって親しみやすかったことにもよるが、問題を深く把握していたので、策略と妥協にもたけていたのが主な理由である。彼はアイルランド分離、イスラエルの創立から1926年のゼネストにいたるまで、あらゆる交渉を処理した。チャーチルがこれら20世紀を形づくった出来事において中心的存在だった理由は、彼が舞台の中央に腕力でのし上がったからというよりも、周囲が彼にはそうするだけの力がある人間だと認めたからである。

稲妻のひらめきのような創造性

チャーチルは数学的、経済的な頭脳の持ち主ではなかった。金本位制に復帰すべきかどうかの論争のときには、「このような非常にテクニカルな問題についての私の理解は限られている」と認めた(やはり財務大臣だった彼の父親も、こんな「小数点のようなもの」についてこぼした)。大勢の銀行家を相手に話をしたときは、「やつらはみなペルシャ語でしゃべっている」と苦情を言った。ただ、チャーチルのこうした発言は全面的に許されてしかるべきだ。それまでの100年間、銀行家自身でさえ自分たちが言わんとしていることを少しも理解していなかったからだ。

彼が持っていたのはスタミナ、パワー、どんなにうんざりするようなことからも逃げない強靭な精神力だった。「100馬力の精神力をもったウィンストン・チャーチルが来るぞ」。第一次世界大戦前、誰かがそう言った。第一次世界大戦前には100馬力といえば相当な力だった。

頭の回転が速く、優れた分析力があっても、特段のエネルギーも仕事への意欲もない人がいる。行動力があっても才能が限られている人もいる。ほとんどの人間は両方をほどほどには持っているが、チャーチルはこれらを大量に持っていた。驚異的なエネルギー、天才的な記憶力、鋭い分析力に加え、一番大事なものを最初に持ってくるように材料を仕分ける容赦ないジャーナリスト的能力があった。さらに、創造性をもたらす稲妻のひらめきが脳内にあった。