「きょうだぞ!」と毎朝起きる私の流儀

それは、学ぶということにも通じる。私も講演などで、若い人に「何のために学ぶのか?」という話をすることがある。答えは2つ。してはいけない卑しいこと知る。それと、誰かのために何かできる人にならなければいけないということに尽きる。そして「それには、なぜかわからないが、人間には冷水に飛び込むという作業が必要らしい」と、申し訳なさそうに語りかける。すると、何人かが「そうなんですね」という顔をする。

今、私は60代半ばだが、死ぬまで、若者でいたい。いつも目覚める時には「きょうだぞ!」と思う。「きょう、今まで書けなかった文章が書けるかもわからない」とか「きょう、自分の生涯で一番大切な人と会えるかもしれない」と期待しながら起床する。ありきたりだが、不運の反対が幸運だとしたら、それは待っていてもやって来ないからだ。楽天主義というのではなく、私の流儀といっていい。ずっとそうして生きてきた。

きょうも夜空には星が輝いている。ふと弟を、そして私が35歳の時に白血病で逝ってしまった前妻のことを考えた。弟の時も、前妻の時も、私は星空を何度も見上げて、生還させて欲しいと祈った。今はただ、やすらかかと尋ねる。東北の人たちも、やがてそうなるだろう。もちろん、胸の底に残る記憶は、5年ぐらいで整理がつくものではない。ただその歳月が、きっと被災者に光を与えてくれる。

伊集院静(いじゅういん・しずか)
1950年山口県生まれ。立教大学文学部卒。CMディレクターなどを経て、81年『皐月』で作家デビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞。94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、01年『ごろごろ』で吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。現在も小説、エッセイを精力的に執筆。近著に累計143万部「大人の流儀」シリーズ『不運と思うな。』(講談社)がある。「大人の流儀」シリーズが5冊同時に電子書籍化された。