「どうして人が死ななければいけないんだ」
あの日から5年がたった。2011年3月11日、私は東京の仕事場から仙台に帰っていた。午後の激震がおさまってからも、夕暮れから夜にかけて余震が何度も繰り返された。そのたびに、庭に出て空を見上げると、すさまじい数の星々だった。その夜空を、いくつもの流れ星が横切る。地上に落ちるように見えるものもあれば、天上へむかっていくように見える流れ星もあった。
毎年3月、東日本大震災の日に合わせて仙台市天文台が「星空とともに」と題して、当日の夜空をプラネタリウムで再現している。確かに、あの夜は流星が異常に多かったという。今だからこそ、津波による犠牲者の昇魂だったのかとの思いもあるが、あの時は「こんなに美しい夜空なのに、どうして人が死ななければいけないんだ」という怒りのほうが強かったことを覚えている。
この震災の死者・行方不明者は1万8000人を超す。では、海の底に、土の下に眠る人たちは不運だったのか……。私も20歳の時に弟を事故で喪った辛い体験を持つ。17歳の彼を海は非情にも呑み込んだ。さぞ無念であったろう。そして、若くして死んだ弟は不運だったと嘆いた。ところが、弟の葬儀が終わった夜、少年時代にお世話になった恩師が「不運な人生などどこにもないんだ。彼は立派に生きたんだ。夢も希望もあっただろう。君だけがそれを知っているのだから、君がそれを忘れず、引き継いで生きるんだ」と諭してくれた。
またある時、東京で母代わりをしてくれている、某プロダクションの副社長から「ねぇ、伊集院さん。人間は病気や、災害や、事故で死ぬんじゃなくて、寿命で亡くなるのよね。そうでしょう?」と聞かれた。なるほど、そういう考え方もあるのかと心が穏やかになった。そんな言葉に触発され、私自身も不運な人生などないと思えるようになったのは、やはり阪神大震災、東日本大震災を目の当たりにしたことが大きい。
今年2月に、家族で被災地を訪問した。北上川沿いの大川小学校には校舎がそのまま残り、慰霊碑と天使の像があった。碑には、幼くして命を落とした児童たちの名が刻まれている。この子たちの一生が、どんなに短かったとしても、1人ひとりが素晴らしい四季に巡り会っていたはずだ。間違いなく満ち足りた日々があって、寿命をまっとうしたのだから、不運だと思うのは、その子の人生も、今を生きる私たちの生をも否定することになってしまう。