努力することで自ずと信用が向上

それだけに、不祥事での辞任は断腸の思いだったはずだ。一時は引退も考えた坂本が、それから2年あまりでビジネスの現場に復帰する。この雌伏の季節は、事業家としての坂本を一回り大きくしていた。

「双六に例えれば、振り出しに戻ったつもりで、事業家としてやり残したことはないかと考えた。そして行き着いたのが、才能を持った人たちの独立の道を切り開くということだった。それが飲食業です。日本では、努力をしたミシュラン星付きシェフですら恵まれていません。同じ40歳でも、年収は銀行の支店長の半分ほど。彼らを幸せにしてみせようと決意した」

そのきっかけは、知人から頼まれた焼き鳥店の立て直しだった。だが、うまくいかず、さまざまな店を食べ歩いたという。そうして、坂本なりに業界の流れが見えるようになってきた。

そこで考えついたのが、一流料理人が高級食材をふんだんに使った料理を、立食形式でリーズナブルな値段で提供するいまの業態。料理人には働きがいが生まれるし、当然のことながら顧客も喜ぶ。そして、それが具体的な形になったのが、11年9月に東京・新橋にオープンさせた「俺のイタリアン」である。

10年2月、稲盛は日本航空(JAL)の再建を要請され、会長兼CEOに就任。経営の師が、大きな責任のある仕事に挑んでいた。坂本も奮い立った。

「飲食業界の“京セラ”をつくってやろうと思った。『経営12カ条』は、しっかりと私の心に根づいている。声に出して唱えると力が湧いてくる。何より、実践しきれば、そうなると稲盛さんが保証している、後はこれを信じるしかない」

現在、店舗数は“俺の”だけでも30近くになった。「オデキと中小企業は大きくなったら潰れる」といわれるが、これからは海外への出店も控える。こんなところで満足しているわけにはいかない。

稲盛が「ちっぽけな満足はすぐに弾ける。事業は大きくしなければいかん。より多くの人たちの幸せのために、人一倍努力しなさい。さらに高みを目指せば信用も自然と蓄積される」と話すとおりだ。

(敬称略)