子育て=しんどいこと、を回避する親はむごい

適切に叱られない子どもが、結果的に「むごい教育」を受けているということについて述べてきました。

なぜ、叱らない教育が急速に広まっていったのでしょうか。

叱るという行為は、叱る本人にとっても辛くて痛いものです。親が我が子を叱る、もしくは担任の教師が生徒を叱るという行為は、いわば自己批判です。それはけっこうしんどいことで、正直、逃げたくなることもあるでしょう。一度叱った以上、改善するまで見届けねばなりませんし、叱る過程で嫌われることもあります。逆恨みされることすらもあります。だから、覚悟が要ります。

そんな骨の折れることとなると、つい他人にやって欲しくなってしまいます。

しかし、子どもを他人に預けて「教育をしている」とは、とても言えません。教育とは本来、手間暇がかかるものです。どんなに素晴らしい先生のところに通わせても、家庭教師をつけても、結局、親の背中です。

▼叱り方の「手順」を知らない親たち

大スターになるような人の親がまたすごいという話はよく聞きます。そうした時、親の社会的地位や収入などの面が子どものスター化を下支えした、としばしば指摘されますが、私はそんな「経済条件」より、ある時は無言で、ある時は仕草で模範や社会の規範を示す「親の背中」が子どもを育てているのではないかと感じます。

昔も今も、「子どもを大切に育てる」という過程の中に「きちんと叱る」という行為は必須です。それは、親の思い通りにならないと手を上げたり罵ったりするというような、虐待とは全く違います。きちんと注意したり叱ったりしてあげることで、子どもの適切な行動が増え、他者へ迷惑をかける頻度が減ります。結果的に、親が声を荒げたくなるような場面が減ることにもつながります。

さらに、ひとつとても大切な点があります。

「叱る」には、前段に「教える」「注意する」という行為が必要ということです。教えもされていないことをいきなり叱られたら、反抗心を生みます(例えば、上司に教えられてもいないことをいきなり叱られたら、腹が立ちますよね)。

つまり、「知らない」という段階には、まず「教える」です。そして「教える」をした上でも不適切な行為をしたら、次は「注意」。それでも聞かない時、「叱る」という段階に入るのです。まどろっこしいですが、叱るという価値ある行為は、楽ではないのです。

子どもは、国の宝です。

宝を守ることは、容易ではありません。覚悟を持って、子どもたちが本当に「大切」に育てていかれることを願っています。

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