県議から1983年初当選。田中角栄元総理の派閥に所属した。93年に政治改革の旗手・小沢一郎氏と自民党を離党。新生党、新進党、自由党と渡り歩き、99年、自民との連立政権で運輸大臣に就任した。ところが2000年に小沢氏が連立離脱。その際、二階氏は政権に残り袂を分かった。田中派以来の人脈と、90年代の激しい政局を生き抜いた力を評価され、自民党復党後も経済産業大臣などを歴任。06年の第1次安倍政権では国対委員長となる。大臣クラスからの格下げだが、当時、小沢氏が代表として率いた民主党との攻防で手腕を発揮。防衛省設置法や改正教育基本法など重要法案を次々に成立させた。ベテランだが下働きも厭わず結果を出す姿勢は、「プロの政治家」としての威風を漂わせる。

自民党総務会長 二階俊博(AFLO=写真)

09年に当時の伊吹派に合流し、12年には会長になって派閥を率いる。側近が離れていく小沢氏を反面教師に仲間を大事にする一方、派閥の宮崎謙介氏が議員育休を訴えながら不倫が発覚した際には、辞職への引導を渡すけじめも見せた。面倒見もいいが筋は通す。派閥の結束は固い。

(AFLO=写真)
【関連記事】
「新土建王」二階氏、幹事長レース脱落の理由
内閣改造で接近する日中、ますます離れる韓国
「自民党不倫」辞める宮崎議員、辞めない中山議員の決定的な違い
自民党と民主党「幻の大連立構想」の舞台裏
総選挙圧勝は、自民党の内部崩壊の序曲