2社連続解雇の後、会社を創業

静岡大学教育学部を6年かけて卒業。公務員の教師になろうとしたものの、面接試験の日に寝坊して、“不採用”に。すでに、民間企業の新卒採用の時期は過ぎていた。

新聞の求人広告で、東芝グループ・東京電機(現東芝テック)が、静岡県内での営業マンを募集していることを知る。東京電機がレジスターを扱っていることも正確に知らなかったが、入社した。早いうちに営業成績が全国で上位になり、トップセールスに。この頃、株式雑誌で東京電機の従業員の内訳を知る。

「正社員が7000人ほどで、現業員が約2000人と載っていた。現業員とは、全国にいる営業マンなどを意味するみたいだった。私もそのひとりで、ようやく、自分が正社員ではないことがわかった(笑)」

それでも、不満を感じることはなかったという。

「恨みなどは、一切ないですね。6年も大学にいて、就職の面接日に寝坊をしているのだから、不満を口にする資格などありませんよ」

27歳のとき、東京の本社に異動となる。しかも、課長に。“現業員”から20代で課長に昇格したケースは前例がなかったようだ。

「人間万事塞翁が馬。おもしろいものです。人生は、どうなるかわかりません。この頃までに、学歴について考えたことなど1度もない。営業で上手くいかないときは、悩みましたけどね」

若き課長として活躍をしたものの、一部から反発も招く。東芝テックを32歳で退職。解雇に近い状態だったという。社員6人の食器洗浄器販売の会社から誘われ、入社する。感謝の気持ちもあり、営業で契約を次々と成立させ、売り上げを倍以上に伸ばした。

だが、社長から辞めるように言われる。わずか10カ月だった。社長が、森下氏に乗っ取られると感じたのかもしれないという。ここでも解雇に近かった。

森下氏は笑いながら、「2社連続解雇」と話す。恨みも不満も、怒りもないようだ。

その後、いよいよ、創業し、経営者となり、試行錯誤をしながらも「テンポスバスターズ」を上場にまで持っていく。

「仕事をしていると、あれをしよう、これをしようという思いが次々とマグマのように湧いてきます。家に帰っても、その思いが消えません。酒を飲むことはあまりないけど、羊かんとか、かりんとうをたくさん食べます。体が欲するんです。女房から、また食べているの? と言われます(笑)」