逆境こそ飛躍へのスプリングボード

1965年、カルロス・スリムは25歳のときに「グループ・カルソ」という会社を起業。企業買収を繰り返して順調に資産を増やしていった。新規に会社を創設するのではなく、既存の会社を買収すれば、リスクは少ない。そう考えたのだ。

だが、好事魔多し。42歳を迎えた1982年、メキシコが債務危機に陥ってしまうのだ。

『「世界の大富豪」成功の法則』(城島明彦著・プレジデント社)

メキシコの株式市況は大暴落。弱気一辺倒となった株式市場で、カルロスは父から教わった富豪への成功方程式を実行に移した。大勢とは反対の「逆張り」に出たのである。安い株価をつけている優良株を買いまくったのだ。

やがて経済が回復、カルロス・スリムの資産は何倍にも増えていた。

歴史は繰り返す。メキシコは1994年にも危機に直面。ヘッジファンドに付け入られ、またしても株式市況は大暴落、手がつけられない状態になった。そのときもカルロスはやはり「逆張り」に出て資産を増やしたのである。

長い人生、順風ばかりではない。逆風が吹く局面が幾度も訪れる。真価が問われるのは、そのときだ。カルロス・スリムにも、逆風が襲いかかった。そのときカルロスは、どう乗り切ったのか。

メキシコでは、2012年に市場開放を掲げる政権が登場して以来、カルロス・スリムが獲得したアメリカ・モビルの時価発行総額は170億ドルも減少した、とメディアは伝えている。

アメリカ・モビルは、テルメックスを通じて固定電話の80%のシェアを握り、テルセルを通じてモバイルの70%のシェアを握っていたのに、なぜそうなったのか。2014年にシェアの上限50%という規制枠が設けられ、それが大きく響いたのである。

カルロス・スリムは、規制枠を超える持ち株を売却。150億ドルを手にした。カルロスは、2009年に経営不振に陥った米紙ニューヨーク・タイムズに注目、2億5000万ドルを融資したが、その額は150億ドルの2%にも満たない。

メキシコでの「独禁法の縛り」という逆境は、カルロスにとっては、外国に進出するチャンスと映った。彼はすでに中・東欧という新しい市場に進出を果たし、“メキシコの通信王”から“世界の通信王”へと羽ばたいているのだ。

※日本円の数字は、発表された時点での為替レートで計算している。
※本記事は書籍『「世界の大富豪」成功の法則』からの抜粋です。

(佐久間奏=イラストレーション)
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