「動機善なりや、私心なかりしか」
こんなことがあったと稲盛氏は回想する。
小学校に上がるまでは臆病だったが、オール甲という成績を取るようになると、一方のガキ大将になり、けんかして帰ることも増えた。相手に負け、泣きながら家に戻ったりすると、母は決まって理由を問い質す。稲盛氏が、自分は正しいのに腕力でやられてしまったと答えると「正しいと思うなら、もう一回行ってこんか!」と家から追い出された。
そんな母親は、周囲の人にはことのほか優しかった。農業をしている親戚が、野菜をはじめとするさまざまな農作物を、大八車に乗せ、あるいは天秤棒で担いで行商に来る。おばさんたちは、夕方には家路に急ぐのだが、売れ残りがあると全部買い上げる。稲盛氏は、そんな母の行いを見て「なかなかいいことをしているな」と感心していた。これら2つのエピソードが、後に稲盛氏の発言に頻繁に登場する「闘魂」や「利他」の源流になったことは間違いない。
そして、母のキミさんは稲盛氏に信仰心の大切さも教えている。それは特定の宗派というのではなく、神や仏に対する敬虔な気持ちといっていい。すなわち、目には見えないけれども、人間をじっと見守っている存在があるということだ。子供心にも、正直に生きることの大切さがしみ込んだことだろう。稲盛氏がことを成そうとする際に「動機善なりや、私心なかりしか」とみずからに問う姿勢を育んだ。
ところで稲盛氏は、本の最後で両親に「できる限りの恩返しをしたいと思っていた」と書き、母親の笑顔を思い出すたびに「お母さん」とつぶやくと記している。そして「最近、もしかすると自分がいま『お母さん』といったのは、妻のことだったかもしれないと思うときがある」とも語っている。偉大な母の存在と同じように、自分を支え続けてくれた奥さんへの感謝が増す日々。雲の上の母は、そんな夫婦を嬉しそうに見ている気がする。