アスリートにして偉大な広報マン、川淵三郎

川淵三郎。1936年、大阪府高石市生まれ。現在、78歳。元サッカー日本代表のフォワードで、1964年の東京オリンピックに出場している。アルゼンチン戦では1ゴールを記録。日本の勝利にも貢献している。現役を引退してからは古河電気工業の営業マンとして働いた。51歳のとき、子会社へ出向になった。

「これ以上、出世することはない」と自覚してから、彼は日本サッカー協会の仕事にエネルギーを注ぎ込む。そして、1993年、日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグを創設し、初代チェアマンに就任。会長を経て、いまは同協会の最高顧問(キャプテン)をしている。加えて、先ごろ、対立していたふたつの組織をまとめ上げたことで、日本バスケットボール協会の会長にも就いた。2013年からは首都大学東京の理事長も務めている。

『川淵キャプテンにゴルフを習う』(野地秩嘉著・プレジデント社)

川淵三郎はアスリートであり、しかも、スポーツマネジメントのプロである。

そして、わたしの彼に対する評価は上記に加えて、偉大な広報マンであることだ。

バスケットボール協会の会長になった後、彼はNHKの「サンデースポーツ」に生出演し、話をした。

「分裂しているのは現在、それぞれが相手に対して不満を持っているからです。現在のことを言いだしたら、絶対に和解しません。それで、僕は言ったんです。

『現在の不満をぶつけるのはやめろ。それよりも未来を考えよう。5年後、10年後のバスケットボール協会の姿を頭に描いて、それに向かって進んでいくんだ、と。実際、Jリーグを創設したときも企業内スポーツのままでいいなど、さまざまな意見がありました。しかし、未来に向かって努力しようじゃないかという私の発言で変わったのです』」

彼が提示した説得の方法とは、現在の不満を棚上げにして、未来に向かって進めというものだ。