「三振してもいいからホームランを狙え」

(右)宮本彰。1954年生まれ。慶應義塾大学卒業後、祖父が創業したキングジムに入社。92年から現職。(左)立石幸士。72年生まれ。東京電機大学卒。厨房機器メーカーの研究職を経て、98年キングジム入社。

(右)宮本彰。1954年生まれ。慶應義塾大学卒業後、祖父が創業したキングジムに入社。92年から現職。(左)立石幸士。72年生まれ。東京電機大学卒。厨房機器メーカーの研究職を経て、98年キングジム入社。

これから会議の様子を再現しようと思うが、その前に、当時キングジムが置かれていた状況を説明しておこう。解説するのは社長の宮本彰である。

「ここ10年くらい、当社は元気がなかった。売り上げ、利益はともにじり貧、あるいは横ばいといったところ。現在はポメラがヒットしてひと息ついていますが、ほかのオフィス関連用品は不振です。不況になってから、どこの会社でもコスト削減のため事務用品を節約します。たとえばボールペンのインクがなくなっても、替え芯だけ交換する会社が増えている。オフィス向けの商品が多い当社にとって、昨今の状況はとくに厳しい。

さて、話を戻すとポメラの開発会議をやった頃は、20年近くヒット商品が出ていなかったので、早く次のヒットを出さなくちゃならないと本気で考えていました。しかし、決して焦っていたわけではありません。私は部下にはつねにホームランを狙え、と言っています。どうせ新製品を出すなら世の中にないものをつくれ、と。三振してもいいから、フルスイングしてホームランを狙えと言っていました」

ホームラン狙いだったから、当然、失敗した商品もある。その筆頭が1990年に売り出した画像メモの「ダ・ビンチ」だった。デジタルカメラの原型みたいな商品で、撮影した画像は感熱用紙にプリントされて出てくる仕掛けとなっていた。しかし、画像はボケていたし、白黒だったから、まったく人気が出ないまま市場から消えていったのである。そんな失敗もあったけれど、キングジムではつねに他社の真似でなく、「世の中にない商品」を狙うことが開発のポイントだった。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(尾関裕士=撮影)