介護長期化で、親が死んでも「絶対許さない」
親しくなったケアマネージャーのFさんは言います。
「介護する方の性格や親子関係によっても異なりますが、介護が長期にわたる人の多くが、心のどこかで親の死を望んでいることを感じます」
介護ではさまざまな負の連鎖が起こります。
「老親の『シモの始末』平静を装う息子・娘と、『手を貸さぬ』人との軋轢」(http://president.jp/articles/-/15800)に書いたように家族で介護をする場合は、家族間での軋轢が生じることもある。兄弟で分担する場合は、負担の多寡で不仲になることもある。ひとりで背負い込んだ場合は、疲弊し日常生活や仕事にも影響が出る。
そのため、介護離職ということにでもなれば経済的にも困窮する。親子関係や認知症の症状などによっては、放置や虐待といった無残な状況にもなりかねない。
それらの解決策のひとつが施設で面倒を見てもらうことだが、それで親子が対立することもあるし、納得してくれたとしても特別養護老人ホームなど経済的な負担の軽い施設に入るのは順番待ちで入るのは不可能に近い。かといって入りやすい介護付き有料老人ホームなどは負担が重い。
そんなこんなで介護する人や家庭はさまざまな心労を抱え、追い詰められていくわけです。子が親の死を望むなんて倫理的には許されないことですが、追い詰められた人が心のどこかでそんなことを考えるのは無理もないことではないでしょうか。
介護が短期で終わるか、長期にわたるかの違いは、親の死後にも影響を与えるそうです。これも人によるそうですが、1年程度の短期で終われば、介護でさまざまな苦労をしたとしても、水に流せる。
「いろいろあったけど、いいお父さんだったね」
と死後も敬愛し続けられるそうです。
しかし、これが5年、6年といった長期にわたると、嫌なエピソード、たとえば、
「あの時、あんな酷いことを言われた」「こんな面倒をかけられた」
といったことが積もり積もって、死後も許せないと思い続ける人がいるとか。ここまで人間の感情を傷つける介護は悲しすぎます。
こうした状況についてFさんに問いかけると、
「これまで介護は要介護者のケアを主眼に置き、そのための施策に重点を行なってきました。もちろんそれも重要ですが、今後はケアラーのケアに力を入れていくべきだと思いますね」
という答えが返ってきました。
「ケアラー」とは初めて聞く言葉でしたが、介護をする人のことをいうそうです。
介護の主体は要介護者のケアを行なうケアラー。介護でさまざまな苦労やトラブルを背負い込み、悩み、精神的にも肉体的、金銭的にも追い詰められている人たちをケアする仕組みを考えなければ、より良い介護などできないというわけです。
ケアラーの支援の仕組みやそのための施策の研究などを行なっている「日本ケアラー連盟」という組織もあり、その重要性を啓蒙しているところだそうです。たしかに要介護者が増え続ける今後は、ケアラーにならざるを得ない人も増えるわけで、サポートする仕組みづくりは急務でしょう。
次回は、ケアラーのケアについて書こうと思います。