業容転換を前提に「大きな絵」を描く
2000年5月、岩沙弘道社長(現会長)が、グループの中期経営計画(中計)を発表した。すでに、三井不動産単体の中計があったが、1998年に社長に就任した岩沙氏は、グループの「21世紀の姿」も描くことに踏み切った。そのグループ中計を策定し、社内外に強調すべき点をまとめ、社長の了解を得る役を、業務企画室長として務めた。45歳のときだ。
土地やビルを持っていれば、時間とともに利益が出る「右肩上がり」の時代は終わり、それらをいかに活用して価値を生むか、「価値創造」の能力が問われていく。一方で、米国のように不動産の証券化が進み、新たな資金が流入して、所有と運営・管理は切り離されていく。となれば、当然、証券化への運用と管理・運営などの専門性が、必要な時代を迎える。
グループ中計は、そんな不動産業の大転換を前提に、長く中核だった保有資産の開発だけでなく、運営や管理、貸借の仲介など資産を保有しない「ノンアセットビジネス」の展開を、成長の基盤に描いた。そうした分野の専門家集団となる必要性も、説いた。
バブル崩壊後の「二番底」に遭遇し、子会社の不良資産が、処理を急ぐべき状況になっていた。連結経営時代へ向けて、事業が重複していたグループ各社の連携も、強めなければならない。そんな背景があったが、「攻め」もなければ、赤字決算で落ち込んでいた社内の空気は一新できない。社長直下で「不動産業の将来」を大きく描く役は、やりがいがあった。
業務企画室長になったのは99年4月。本人にすれば「あり得ない人事」だった。ときにスタッフ仕事もした、本社の人事部にもいた。でも、住宅分譲やマンション用に土地を買い、現地でブルドーザーを動かす仕事が長く、経営とは縁遠い。だが、岩沙氏は社長になって1年、経営戦略を練る業務企画室のメンバーを全員入れ替えて、その長に選んだ。理由は、わからない。