子会社を上場廃止、住宅の製販一体へ

現実が、進むべき道を教えてくれた。もう右肩上がりの時代はこないし、不動産を長く持つことはリスクで、早くニーズのあるものに活かさなくてはいけない。その思いの積み重ねが、グループ中計で描いた絵につながっていく。

「欲観千歳、則審今日」(千歳を観んと欲すれば、則ち今日を審にせよ)――遠い将来のことを知りたいと思うなら、まず、現在のことをきちんとつかむことだとの意味で、中国の古典『荀子』にある言葉だ。未来へつながる兆候は現在のなかにあるから、その兆しをみつけ、そのうえに立って将来を展望せよ、と説く。不良資産の実態と要因をつかんで、それを踏まえて事業の将来像を描いた菰田流は、この教えと重なる。

その後、業務企画室は経営企画部に名が変わり、その部長も合わせ、経営戦略を6年、手がけた。その間、右肩上がりの神話の崩壊で、未稼働だった不動産も流動化し、「リート」と略称された不動産投信の市場が拡大。グループの業績も回復し、不動産市場も日本経済も描いた方向へ動き出す。

05年4月、執行役員となり、住宅事業本部の都市開発事業企画部長へ転じた。翌年1月、経営会議に、上場廃止して100%子会社となっていた三井不動産販売に、自社でつくる住宅の販売だけでなく、住宅づくりも委ねる「製販一体化」を提案した。不良資産の処理にとりかかったころに「10年後には製販一体」と描いた構想だが、住宅の製造と販売が別々の意思決定によって動いている状態に、限界がきていた。

経営会議の翌日、本部の人間を集めた。まず社長が趣旨を話し、続いて自分が詳しく説明する。住宅部門と子会社では処遇に差があったので、転籍ではなくて出向とすると言うと、「給料は下がるのか」との質問が出た。社長が「それは一切ない」と答えると、「生涯にわたって大丈夫か、紙に書いてほしい」とも言い出す。出向への不安はわかるが、もどかしい。

終わると、社長が「今日は疲れた」と言い、誘われて寿司屋へ向かう。そこで話し込んでいたら、「やっぱり、お前にいってもらうしかないな」と言われ、自分にも出向の「内示」が出た。

製販一体化を軌道に乗せる役を誰にやらせるかは懸案で、議論するほど「これは、俺がいくのかな」とは思っていた。4月、住宅事業本部の副本部長と住宅新会社の設立準備室長を兼務する。10月に誕生した三井不動産レジデンシャルでは、取締役常務執行役員になった。

2011年6月に三井不動産の社長になった後は、部下に「大きな絵」を描かせている。今度は、描いたビジョンをグループで共有し、個々にミッション(責務)を自覚させて動かすことが、自分の役だ。そう言えば、15年前にグループ中計を策定したとき、岩沙氏に「絵に向けて、戦略的にどんな行動計画を立てるかが、経営者の仕事。それに必要な陣立てをつくるのが、お前の仕事だ」と説かれた。その意味を、いま、まさに実感している。

三井不動産社長 菰田正信(こもだ・まさのぶ)
1954年、東京都生まれ。78年東京大学法学部卒業、同社入社。2003年経営企画部長、05年執行役員、06年三井不動産レジデンシャル取締役常務執行役員、08年三井不動産常務執行役員、09年常務取締役、10年専務取締役。11年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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