78年に入社してビルディング事業部計画課に配属されると、岩沙氏が課長代理にいた。そして、ほどなくあった会議で「54、55の会社の計画をみたが、全く絵が描けていない」と断じた。昭和54年度と55年度、つまり翌年度と翌々年度の経営企画に対する指摘で、課員に「ビルディング事業部として、どういう絵を会社に提示するか」の議論を促した。「そういうものなのか」と頷く。

翌年、東京・赤坂の企業が、2本目の高層ビルを建てる計画に、協力を要請してきた。国土法の制限もあり、土地の入手が困難な時期。岩沙氏に「面白い。日本ではまだ例は少ないが、米国にはビルを預かって運営・管理する仕組みがあるようだ。勉強してくれ」と言われ、取り組んだ。テナントを確保してリース料を取り、所有者には空室分も含めて収入を保証する。そんな手法で、手はかかったが、結構な収益になる。

当時、岩沙氏には「何かを考えるときは、まず大きな絵を描け」と教わった。グループ中計の策定時も、同じ言葉を聞いた。社員たちに、会社の将来はどうなるのか、自分たちはどういう仕事ができて、「こういう街をつくってみたい」「こう人の役に立ちたい」という夢がどう実現するのか、まずはそういう絵を描け、と言う。

とりあえず「ビジョンとは」の勉強から始めた。部下の意見も聞き、ホンダを興した本田宗一郎さんら著名事業家の著書や、米GEなど「エクセレントカンパニー」と言われた企業の紹介本を選び、読み進める。「なるほど」「面白いな」という点はあったが、腹に落ちるまでには至らない。

社内は、「二番底」を克服するためのリストラの真っ最中。「大きな絵」を考えながら、社長のもう1つの指示だった「不良資産の徹底処理」にも、とりかかる。金融危機で不動産の価値がさらに下がり、みえづらかったグループ各社の含み損がみえてきた。不動産販売子会社では1000億円単位になるなど、集めると、けっこうな額になる。売却リストに載った物件は、ほぼ、みにいった。買収しきれず、虫食い状態になったままの土地など、売りたくても売れないところも、確かめにいく。