原田が行ったことを一言で言えば、マクドナルド米国本社の意を受けて、藤田が「日本化」した日本マクドナルドを米国標準に戻すことだった。

00~03年にかけて収益力が悪化した米国マクドナルドでは、「Plan To Win」と題する経営の刷新を行っていた。

多くの店舗をリニューアルし、24時間営業を開始。また店内に新しい調理機器を導入、それまで作り置きしていたハンバーガーやポテトを、オーダーを受けてから作る、「メイド・フォー・ユー」と呼ぶ形に変えた。さらに「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」などの新商品を開発投入し、業績回復に成功する。原田が行ったのは、米国で成功を収めたこれらの戦略を日本に導入することだった。

それまで導入が進んでいなかったメイド・フォー・ユーは、1年で一気に全店舗に導入するよう指示。「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」、さらに日本独自開発の「えびフィレオ」などの新商品を投入。低価格戦略によって「チープ」という固定観念が定着していたマクドナルドのイメージを一新することに成功。24時間営業や地域別価格の導入で利益率も改善された。

もともとの企業理念であるQSC(クオリティ、サービス、クレンリネス=清潔さ)の向上を徹底させる一連の施策により、日本マクドナルドは一時の不振を払拭し、売上高は大きく伸びた。それにより店舗も活況を呈したが、その割に利益率は上がってこなかった。

これを問題視した米国本社では、07年、シニアディレクターのデイブ・ホフマンを日本マクドナルドのFCシステム運営責任者として日本に派遣する。ホフマンが行ったのは、日本マクドナルドの直営店のフランチャイジーへの売却だった。

直営店をフランチャイジーに売却すれば、1店あたり数千万円のキャッシュが得られる。このキャッシュは会計上、フランチャイズ店からの収入として計上される。

08年に始まる3年間で2千数百の直営店が売却され、07年の直営店の割合71%が、12年には34%まで下がった。この間、日本マクドナルドには年間35億円ほどの売却益がもたらされた。

店舗売却と同時に、それまで日本マクドナルドの社員だった店長や本部の経営幹部がフランチャイジーに移籍させられていった。07年に4997人だった日本マクドナルドの従業員数は、13年には2764人まで減っている。

キャッシュが入り、移籍した社員の人件費が削減され、さらに資産を売却した分だけ資産が圧縮されて、日本マクドナルドの総資産利益率や自己資本利益率は向上。11年には最高益を更新している。