伊勢丹社長と共感「百貨店は残る」
お客が抱く苦情や不満には、かなりの場合、それなりの理由もある。だから、一つ一つ丁寧に対応し、お客が本当は何を求めているのかをつかんで、不満を解消してもらう手を迅速に打つ。その積み重ねこそが、「店の評判」を支える。そのときのやりとりから学ぶことも、たくさんある。
「君子重小損、矜細行、防微敝」(君子は小損を重んじ、細行を矜み、微敝を防ぐ)――立派な人は小さな損失でも軽くみず、ささいな行いでも慎み、わずかな破れでも見逃さずに防ぐ、との意味だ。中国・明の処世書『呻吟語』にある言葉で、小さくみえることでも積み重なれば大事に至ることがあるので、一つ一つ、きちんと解決しておくことが大事だ、と説く。石塚流は、この戒めに通じる。
次に本社業務部のGMになる。2年目の97年10月、博多に福岡三越が開店し、応援にいく。ところが、本社から「すぐに帰れ」と言ってきた。簿外で処理をしていたゴルフ場建設に関する損失を開示するから、手伝え、という。
バブル期に、ゴルフ場建設のためにつくった会社に「経営指導念書」を出し、その念書が担保の形になって銀行が融資した。千葉県・八街での用地買収に、資金が流れ込む。だが、バブルが崩壊し、含み損は約500億円に達した。
地上げの会社は、連結決算の対象ではなかった。でも、念書によって、最終的には三越が損失をかぶらなくてはならない。公認会計士はそう判断し、「損失処理をしないと、監査を通せない」と言った。決算は特別損失を計上し、大赤字となる。連結ベースの自己資本は、200億円を割り込んだ。もう一度、大赤字を出したら、債務超過になりかねない。前号で触れたように「もしかしたら、そう簡単には生き残れないかもしれない」と思い始める。40代の終わりが、近づいていた。