このことは理論的にも最近わかってきて、ノーベル賞に輝いた山中伸弥教授の研究成果であるiPS細胞が関わっている。iPS細胞は無限に増殖することができる正常な「幹細胞」で、自分自身が増える複製能力と、分裂して他の細胞に分化する能力を備えている。そのiPS細胞を実験室で作成するときに、よくがん細胞が生まれてしまう。山中教授は「再生能力とは、がんになるのと紙一重だと思う。高い再生能力を持っているということは同時に、がんがすごくできやすいということではないか?」と語っている。

がんにも「がん幹細胞」があることがわかっている。胃がんや食道がんなどの固形がんの病巣には、数十億から数百億のがん細胞が含まれているが、それらはすべて、たった1個の、このがん幹細胞から分化したものだ。他の臓器に転移したもとは1個のがん細胞で、がんはすべて、最初の1個のがん幹細胞の性質を受け継いでいる。そして、幹細胞が「転移する能力」を備えているものだけが、本物のがんである。がんは他の臓器に転移すると、大腸がんの肝転移のごく一部のような例外を除いて、治ることはない。逆に、臓器転移がなければ治る可能性が高い。本物のがんはすぐ転移を始めるので、がん幹細胞に転移する能力があれば転移するし、転移する能力がなければ転移しない。運命はがん幹細胞で決まるといっていいだろう。

それなのに、がん初発巣を放置している(もしくは過去の一時期放置していた)患者に臓器転移が出現してきた場合、放っておいたから転移した、と考えてしまうのが家族や世間というものだ。例えば、アップル社の創始者であるスティーブ・ジョブズ氏は、膵がん(の中でも進行が遅い特殊タイプ)で亡くなった。彼は2003年に膵がんが発見された後、手術を拒み、種々の療法を試したようだ。しかし9カ月後、検査で膵がんの増大が判明し、手術を受けた。その後、08年に肝転移が判明し、2011年に亡くなった。生前ジョブズ氏は、がんを放置したことを悔いていたというが、天才的なジョブズ氏でも見落としたことがある。肝転移のような臓器転移は、初発巣が発見されるはるか以前に成立しているという事実だ。膵がんばかりでなく、胃がん、肺がん、前立腺がん等あらゆる固形がんで、初発巣が検査で発見可能な大ききになる前に、がん細胞が他の臓器に転移している。これまでの考え方は、「早期発見・早期治療」によって転移がない段階で見つければ、将来転移してくるのを防げるのではないかというものだったが、がんの成長過程から考えると無理があるといえる。