偶発性と「やわらかいキャリア」

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

運や偶発性で、大事な仕事やキャリアを決めていいのか? 確かに、仕事は大事です。だからといって、慎重になりすぎ、働く前から自分の思い込みにこだわりすぎるのはもっと危険だと思います。そもそも、人の人生も会社経営も、思わぬ出会いや偶然の連続でできています。そして、この時代この国に、この肉体やパーソナリティをもって人間として産まれてきたこと自体が、何よりの偶然です。僕たちは様々な不可抗力や偶然の連続の中に、生きた形跡を残そうとしているに過ぎません。

スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱した「計画的偶発性理論」では、想定しなかった偶然の出会いや出来事を柔軟に受けいれ、時にはダイナミックな方向転換をできる人のほうが、結果として満足のいく職業人生を歩み、充実したキャリアを描けていると報告しています。社会情勢がコロコロと変わる時代です。40年後の環境やその時のゴールイメージなんて、どんなに厳密に描いたところで、それこそただの幻想です。目標設定・逆算主義に縛られることが、職業人生・ライフキャリアの危機を招くことは容易に想像できます。

だからといって、何も考えなくていい、いい加減でいいと言いたいのではありません。これからの時代に大切なのは、その時々の偶然の出会いや経験、さまざまな変化と向き合いながら絶えず模索し続けることで、表面的にはやわらかく、内面には芯のある人生をつくっていくということだと思います。それは、自分が「自分の人生」のオーナーとして、責任をとるということです。大切なのは、“生涯に渡るプロセス”であり、入口は、あくまで入口に過ぎません。

友達をつくるとき、属性や条件を事前に選択し、情報を収集しながら厳密に絞り込んでいくというような人は珍しいと思います。学校で席がたまたま隣だったとか、語学のクラスが一緒だったとか、そのほとんどが「たまたま」です。この「たまたま」をいい加減なものだとするなら、友情の始まりなんて極めていい加減なものです。それでも、そこから深い信頼や、人生に欠かせない協力関係が生まれたりもします。それは、「どう始まったか」ではなく、その後「どう関わり合ったか」にすべてが詰まっているからです。

報酬やポストを追いかける、都会での集約的な労働も、選択の一つだと思います。そこで得られるものは明確です。でも、得られないものも明確になりつつあります。人と企業の関わり方や、人と組織が互いに求め合うものも、これからもっと多様になっていくと思います。その色んな選択肢を、もっと解放的に、もっとやわらかく楽しめるようになったら、働くということが人生にとってもっとポジティブなものになるのではないかと思うのです。「ベツルート」は、その「やわらかいキャリア」のきっかけになればいいのです。