「本当の自分」はどこにいるのか?
その後も「しまだ」は大活躍でしたが、しばらく経ってA君をイベントに誘うと、「僕は『しまだ』を卒業しました。着ぐるみなしで行きます」と言って、素顔で現れました。少しお酒に頼るところはありましたが、素顔のA君はずいぶんと明るく、社交的になっていました。それ以来、彼がパンダの着ぐるみに入ることはありませんでした。卒業後は、大手保険会社の営業職に就いたようです。
A君に起きた変化は何だったのか? それは「自分とは○○である」という「自己概念」の変容だったのだと思います。
人との関わり合いのなかで形成される「自分」のことを、社会心理学では「社会的自己」と呼びます。よく話題になる「自分らしさ」とは、客観的に観察できる身体的特徴などではなく、社会や他者との関係性の中でつくられる、極めて流動的なものです。
僕たちは学校や職場、家庭というさまざまな環境の中で他者から「役割」を期待され(役割期待)、それを理解した上で取得し(役割取得)、「社会的な自分」をつくり上げていると言われています。つまり私たちは、さまざまなシーンに合わせて「自分自身を演じている」とも言えるのです。
しかし、別のシーンでも同じような役割を繰り返し演じるようになると、「自分とは○○な人間だ」という思い込みが生じ、自分の中で整理されて、それが定着していきます。これを「自己概念」と呼びます。我々日本人はこの「自己概念」を固定化させる傾向が強いようで、「自分はこういう人間に違いない」という思い込みから抜け出せず、環境の変化に対応するのが苦手な人が多いと言われています。
A君は、周りから期待されてきた「秀才でおとなしいA君」を演じながらも、心のどこかに「そうではない自分」も内在させていました。若新によってパンダの着ぐるみに無理矢理入れられたことで、「自分がA君である」という外的側面(ペルソナ)から解放され、内なる自分、新しい自分の感覚に気づき、獲得していきました。そして、それまでの自分に取り入れ、変容させていきました。
ここで重要なのは、「しまだ」によって目覚めた「新しい自分」だけが、本当の自分ではないということです。それまでのA君も、間違いなくA君自身です。大切なのは、自分の多様な側面を、柔軟に統合していくということだと思います。「本当の自分」なるものは、さまざまな社会的シーンや人間関係の中に、複雑に見え隠れしながら散りばめられているものです。
社会環境はもはや、一定ではありません。ワークスタイルもライフスタイルも、激しく変化していきます。その中で、自分自身が「ゆらぐ」ことも多々あると思います。そのゆらぎや変化を、もっと歓迎すべきです。それこそが、「自分」という存在を主体的に生きる、ということではないでしょうか?