「近所の目」が独居老人宅をゴミ屋敷にする
ただ、介護現場の現状を話してくれるケアマネージャーのFさんは「こういう時代になった以上、社会全体が認知症について理解を深め、そうした人たちと共生していくことを考えなければなりません」といいます。
認知症の人が身近にいない人たちにとっては想像がつかないことですが、Fさんによれば、軽度の認知症の人は街に相当数いるとのことです。たとえば散歩をしているお年寄り。決まった道を歩く分には問題ないし話しかけても普通に会話ができたりする。でも、何かの拍子にいつもとは違う道に入り込んだりすると、家に帰れなくなる人がいるんだそうです。もちろん散歩をしているお年寄りのすべてが認知症と決めつけるわけにはいきませんが、そういう人もかなりいるといいます。
介護サービス利用者にも当然、多くの認知症の人がいます。独居の場合、部屋の中がゴミだらけということも少なくないとか。Fさんが言うには、そうならざるを得ない社会状況があるそうです。
ゴミだらけになるきっかけはゴミの収集。燃えるゴミを出せる日、不燃ゴミを出す日といった具合に分けられているところが多いですが、認知症が入ってくるとどうしても間違える。間違えると収集されず、近所の住人が“このゴミを出したのは誰だ”ということで、突き止められ非難されることがあるそうです。
気の弱い人はそれが怖くて、気の強い人はプライドを傷つけられてゴミ出せなくなる。それで部屋がゴミで埋まるようになってしまうというのです。
認知症の人がする失敗は悪気があってすることではない。どうしようもなく、してしまうことであって、それを非難されると殻に閉じこもって増々訳の分からないことをしてしまうという悪循環になる、ということなんだそうです。つまり近所の目、社会が、認知症のお年寄りを追い詰めているわけです。
これは身内が認知症になったときにもいえます。訳の分からない言動をされると、つい否定したり、怒ったりしてしまいます。認知症になった人の側に立てば、それが怖くて狼狽え、あるいは許せなくて増々訳の分からない言動をする、ということになる。悪循環です。それが高じると虐待にまでいくことがあります。だからFさんは「認知症の人を怒ったり、きつい言葉を投げかけたりしないでください」といいます。
しかし、これが難しい。
父の介護体験の稿でも書きましたが、認知症が進行して理解不能な言動をし始めた時は、声を荒げたことがありました。長年、普通の会話をしてきた。それなりに尊敬もしている。その父親と通常の会話ができず、訳の分からないことをする。それがショックで、やるせなくて、つい激昂してしまうわけです。
Fさんによれば、認知症の人にはそのように対抗するのではなく、受け入れるしかないといいます。気持ちとしては「そういう世界観を持つにいたったんだな」と思うということ。それが悪循環を食い止めるといいます。
とはいえ、これは身内だからできる対応。公道で見ず知らずの人が認知症で訳の分からない運転をしたら対応は難しい。大変な世の中で生きているということは自覚しておいた方がよさそうです。