「エリート銀行」に入行して驚いたこと

「本当の意味で優秀で、その人らしい価値をもっと生むことができるのに、ある枠組みの中でこれをやれ! と命じられ、皆と同じことをひたすらさせられている人がたくさんいますね。

山田理・サイボウズ取締役副社長。1992年、大阪外国語大学ペルシャ語学科卒。

幸か不幸か、私は銀行に勤務していた頃、そのことに早くから気がついていました。本来、大事なことは、差別化ですよ。他の人と違うからこそ、意味があるのです。学歴を極めることは、枠組みの中でそのほか大勢の人と同じことをしようとする集大成みたいなものです」

サイボウズの取締役副社長の山田理氏(47)が語る。1992年3月、大阪外国語大学ペルシャ語学科を卒業し、4月に日本興業銀行(現 みずほ銀行)に入行した。日本興業銀行は金融機関のリーディングカンパニーとして長く、経済界をリードしてきた。「エリート銀行」と呼ばれ、都市銀行(現在はメガバンク)などとは採用試験の際に学生に求めるレベルは大きく異なっていたといわれる。

山田氏は入行後、同期生の卒業大学を知り、驚くものがあったという。

「同期は130人ほどで、東大と京大で50人くらい。ほかも、大阪大など旧帝大が多かったですね。大阪外国語大は、偏差値では下から数えたほうが早いと思います。こんな優秀な人たちと競いあったら、負けると感じました。しかし、私が採用された理由が必ずあるはずで、自分らしさを早く見つけようと思いましたね」

日本興業銀行は、学歴を基準として採用するか否かを判断していたのではないかと筆者が尋ねると、「判断材料の1つであったことは、間違いがないでしょう」と答えた。

「これほどに東大や京大が多くて、“学歴は関係がない”といわれたら、何を基準で選んだのですかと聞きたくなります(苦笑)。大学の難易度(偏差値)をもとに、どこかのラインで線を引き、そこより上の大学の学生を中心に、ポートフォリオを組んで採用していたように思いますね」

入行後は、本店の市場営業部や広島支店、その後、本店の融資部などに勤務する。周囲の行員は経済の分析や捉え方などが鋭く、日々の事務処理なども素早く、正確だったようだ。山田氏は、その頃を振り返る。

「皆が優秀なのですが、特に東大卒の人は、膨大なマニュアルや資料を時間内で読み込んだり、記憶する力はものすごくハイレベル。私では、まったくかないませんでした。しかし、1990年代のバブル経済が崩壊した後の時代のように、従来までの枠組みが大きく変わるときには問題が生じることもあります。例えば、融資をするか否かを決める審査で、それまでの基準を疑うことなく融資を続けたから、莫大な不良債権になったのではないかと思います」