最高の結果を出せるのは「自分しかいない」
そもそも私が誰よりも早い時期にオフポンプ手術に取り組んだのは、ある患者さんの死がきっかけでした。私が自分で心臓の手術を執刀するようになって1024例目の患者さんだったのですが、心臓病の他に肝硬変を患っていたので手術の前の状態が悪く、人工心肺を使った冠動脈バイパス手術の後、喉に穴を開ける気管切開をして人工呼吸器を取り付けていました。バイパス手術自体はうまくいったものの、その患者さんは手術から2週間後、寝ている間に自ら人工呼吸器を取り外して亡くなられました。私が執刀医となった手術で初めて失った患者さんでした。欧米で行われていたオフポンプ手術を知ったとき、もしかしたら人工心肺を使わずに手術をしていたら、その患者さんは気管切開などせずに助かったのではないかと考えたのです。
欧米で実施されていたといってもまだ試験的であり、今のように技術や補助器具が確立されているわけではなかったので、初めの頃は試行錯誤の連続でした。病院にとってはオフポンプ手術のために新しい体制を整えなければならないばかりか、技術的には難しいのにもかかわらず、その時の診療報酬では人工心肺を使った手術よりも利益が2割も下がるといった状態でした。経営面を考えるとオフポンプ手術の導入は苦しい選択でしたが、そのときの平野勉理事長(故人)が、今後はオフポンプが主流となるという私の言葉を信じて後押ししてくれました。
最初は、人工心肺を使うような手術ができない重症例や高齢の患者さんに限ってオフポンプ手術を実施しました。繰り返し縫合の技術を磨くことで、集中し神経を研ぎ澄ませると動いているはずの心臓が止まって見えるようになってきました。私は、現在アメリカにいる廣瀬仁医師と一緒に、一例手術を行うごとに細かく分析して少しずつ改善を繰り返し手術の精度を上げて行きました。
今では、合併疾患がなく人工心肺を使った手術が実施できる患者さんにも積極的にオフポンプ手術を実施しており、予定された手術であれば99%以上の成功率です。オフポンプ手術の成功率を高めたことで、新東京病院は、全国から心臓血管外科手術を受ける患者が集まる病院になりました。
これだけ全国的にオフポンプ手術が広がり、日本が、欧米に先駆けてオフポンプ手術先進国になったのは、私の他にもこの手術に力を入れた心臓血管外科医がいたからです。それでも、この分野でトップランナーとして走ってきた自負があり、陛下の手術を依頼されたとき、正直、どんな場面でも最高の結果が出せるのは「自分しかいないだろう」という思いもありました。