大学時代に200人以上の職人を取材

矢島はまだ26歳と若いが、全国の伝統産業の職人からの信頼は厚い。仕事を依頼している職人は20人ほどで、30~40代の若手が中心だ。当初は矢島から声を掛けて始まる仕事がほとんどだったが、実績が上がるにつれて、職人の意識が変わり始めたという。

3年間にわたって200人以上の職人と出会った。

「いまでは職人さんから、和えると一緒に仕事をしたいと連絡をくださる方も増えてきました。職人さんと日本の伝統産業の未来を開拓したいと思っています」と矢島は言う。

和えるにとって、職人は下請けの生産者ではない。日本の伝統文化・産業と精神性を子供に伝え、後世に引き継ぐためのパートナーであり、共同体なのだ。そして、顧客は子供たちだから、敢えて母親や父親など親の意見・要望は聞かない。大人は自身の都合と利便性を優先しがちだからだ。それよりも子供の役に立つことだけを考える。商品企画と基本形状を和えるで決めた後は職人の感覚と感性を大事にしながら何度も試作して作り上げていく。

和えるが発注したものは、売れようと売れまいと全量買い取っている。リスクを職人に押しつけないためだ。

矢島がここまで、伝統産業と職人の世界にのめり込むことになったのは、2007年、慶應義塾大学に入学後のことだ。中高時代に茶華道部に属していた頃から日本の伝統や文化に興味があった。大学に入ると、伝統産業に関心を抱き、職人たちに会いたいと、全国を取材して記事を書くことを思いつく。企画書を作って知人にお願いするうちに、JTBの会報誌で連載を担当することになり、3年間にわたって200人以上の若手職人と出会った。

彼らの人間的魅力や伝統産業の巧みさに魅了されると共に、地場産業の衰退という現実も知った。これほどすばらしい日本の伝統や文化を自分たちの世代どころか、親の世代も知らない。職人のなり手も少なく、このまま消えてしまうのはもったいないと思った。

職人に仕事を続けてもらうにはどうすればいいのか。矢島は考えに考え、育児用品を伝統産業で作るというアイデアに至った。次の世代を担う子供たちに職人が作る最高の子供向け日用品を使ってほしい。それが同時に、日本の伝統を引き継ぐことになるのではないかと思った。